寡黙な男の片恋慕

一目惚れだった。
ひたむきに一生懸命働く姿をかわいいと思った。


神羅カンパニー総務部調査課、通称タークス。
その実態は、ソルジャー候補となる人材のスカウトや要人の警護、諜報活動、暗殺などあらゆる任務をこなす特殊部隊。
普段の活動領域は主にミッドガルの上層、プレート都市。
だが、この日はとある調査でミッドガルの下層であるスラム街に来ていた。
タークスに属するその男は八番街スラム駅のホームに降り立ち、ぐるりと周囲を見回す。
目に映るのは、コンテナや廃材など雑然とした物の数々。
整然と建物が並ぶプレート都市とは違い、その雑多な雰囲気がいかにもといった感じだった。
駅前は広場となっていて、その広場を囲むように周囲には数軒の移動式屋台が軒を連ねていた。
ホームに降り立った瞬間、食欲をそそる匂いに包まれたのはその屋台からか。
そういえば今日は朝飯がまだだったなと、男は腕時計を見る。
仕事開始までには時間がある。
男は腹の虫が鳴る前に屋台へと歩を進めた。

広場にたどり着き、そしてまた辺りをぐるりと見回す。
全部で7つの屋台があった。
男は端から順に屋台の上部に取り付けられた看板を目で追う。
伍番饅頭に六番焼き、スラムサンド、ベジスープ、雑炊、唐辛子麺、そして八番饅頭。
どの屋台もそこそこ人が並んでいる。
味に問題はなさそうとなれば、あとは好みの問題か。
男は再び看板を眺め、そして一番端にあった八番饅頭の列に並んだ。
近くに行くと、煮汁のいい匂いがした。
更に顔を覗き込んで見ると、屋台には何種類かの具が並んでいる。
客は好みの具を三種類選んで売り子に注文し、売り子がそれを饅頭に挟んで渡しているのが見えた。
皿に盛り付けらた具を見て、どれにしようか並んでいる間に考える。
でも回転重視の売り方なのか、数人並んでいたはずの客はあっという間に捌けて男の番となった。
どの具にするかまだ決めかねていた。
すると売り子が、
「おまかせやお勧めでも注文できますよ」
そう声をかけてきた。
具ばかり見ていた男が顔を上げる。
売り子は饅頭を片手に、小首をかしげるようにして微笑んでいた。
その笑顔に男は顔を一瞬にして火照らせる。
「あ、じゃあ、おまかせで……」
「はい! ありがとうございます」
そう言って、売り子はテキパキとした手付きで具を饅頭に挟んでいった。
あっという間に出来上がった饅頭と引き換えに代金を払う。
「ありがとうございました」
二度目の笑顔で男は完全に恋に落ちた。



男はその日以降、毎日ではないもののかなりの頻度で八番饅頭を買いに行ってる。
八番饅頭はいつの時でも行列ができていたし、男自身が積極的にコミュニケーションを図れる性格でもなかったから、売り子の彼女とは特に進展もない。
常連というほど毎日通える訳でもなかった男は、彼女にとってたまに来るその他大勢の客のひとりに過ぎない。
でも男はその立ち位置に満足していた。
とにかく彼女の笑顔が見られればそれでよかった。

彼女の名前は「ティファ」
彼女と共に饅頭を売っている小柄の老人の男がそう呼んでいたのを聞いて知った。
年の頃はおそらく16、7といったところか。
人目を引くスタイルだけを見れば大人のようにも見えたが、顔はまだ幼さが残っている。
そのアンバランスさもまた彼女の魅力だった。
住んでいるのはこのスラム街なのだろうが、家がどこだとか家族構成とか交友関係などはわからない。
仕事柄、彼女の素性を知ろうと思えば調べることは容易かったがそれはしなかった。
そういう本人が意図しないところでの情報取得は仕事だけでいい。


「やっぱりああいう所で働くのは、それなりに訳ありなんだろうな」
「金に困っているとか?」
いつものように八番饅頭を買って広場のベンチに座って食べていたとき、そんな会話が耳に入った。
会話の主は隣のベンチに座る男ふたり。
手には男と同じく八番饅頭が握られている。
「まあ金に困ってるのは彼女に限らず、ここスラム街にいる連中皆そうだろうけど」
話の中の彼女とは、おそらくティファのことを言ってるのだろう。
男は自然とその会話に意識を集中する。
「ここだけの話、あそこらへんの屋台で働いてる子は借金があるらしい」
「借金?」
「ああ、で、その金貸しが牛耳ってるエリアでその子らを働かせて逃げられないようにしてるって噂だ」
「ひでえ話だな」
「いや、そうでもないぜ。ちゃんと借金を返せばいずれ開放される。死ぬまでこき使おうってんじゃないんだから、まだ良心的なほうだろうよ」
「まあそう言われたら確かに。本当の悪人ならウォールマーケットのドン・コルネオにさっさと売り飛ばしてるはずだもんな」

―― ドン・コルネオ
六番街スラムにあるウォールマーケットの顔役であることは、言うまでもなくタークスに身をおいている者としては周知の事実。
実際に会ったことはまだないが、聞くところによるとかなりの好色漢で、えげつないやり方で女を食い物にしているらしい。
男はそれを思い出して、眉間にしわを寄せた。
男がもっとも軽蔑する類の輩だったからだ。

「じゃあここはひとつ、彼女の借金返済に力を貸そうぜ」
「金貸してやるのか?」
「バーカ、人に貸すほどの金なんてねえーよ」
「なら、どうやって力を貸すんだ?」
「貧乏な俺らにできることと言ったら、彼女が少しでも早く借金を返せるように八番饅頭をたくさん買って売上に貢献することだろう」
なるほど、と男は思った。
今までは自分が食べる分ひとつしか買っていなかったが……
次からは10個購入しようと男は決めた。



「なんだよ、また饅頭かよ。たまには違うものを食べたいぞ、と」
神羅ビルにある総務部調査課のオフィス。
八番饅頭を差し入れしたところ、相棒にそう言われた。
男はあの会話を聞いて以来、八番饅頭を10個購入している。
さすがにひとりで食べ切れる量ではないため、こうしてオフィスに持ってきては上司や同僚に饅頭を差し入れていた。
「ただで食えるんだから文句を言うな」
「でもよ……」
不満気にそう言いながらも相棒は一個目を平らげ、二個目の饅頭に手を伸ばしている。
なんだかんだで、八番饅頭を結構気に入っているのだ。
「これ、八番饅頭だろ。わざわざ八番街スラムに寄って買っているのか?」
オフィスの中央に位置するデスクから主任がそう言う。
「はい、よくご存知で……」
「スラム街はどのエリアも熟知しておかなければならないからな」
ああ、と男は納得する。
主任は、伍番街スラムに住む古代種の娘を擁護するという重大任務を長年任されていることを思い出した。
「なにおまえ、わざわざそんなところまで買いに行ってんの?」
主任との会話を聞いていた相棒が驚いた顔を見せる。
そうしてから、意味ありげに口の端を上げてニヤリと笑った。
「なるほど。……目的は、女か?」
そういう勘だけはなかなか鋭い。
が、相棒とは言え、プライベートなことまでペラペラとなんでもしゃべる気はない。
男が黙秘していると、相棒は意地の悪い笑みを浮かべた。
「今度は俺が饅頭を買いに行っちゃうぞ、と」
男はサングラス越しに相棒を睨む。
「詮索なんてくだらない真似をしてみろ。おまえとの関係もそこまでだ」
相棒は降参とばかりに両手を上げた。
「冗談だぞ、と」


悲しい知らせは突然だった。
男はいつものように饅頭を買いに八番街スラムを降り立ったが、目的の屋台はそこになかった。
今日は木曜日。
屋台の定休日は確か水曜日だったはず。
ということは、臨時休業だろうか。
今までそんなことはなかったから気を揉んだが、まだこの時点ではそこまで深刻に考えていなかった。
しかし翌日もその翌日も屋台は出ていなく、これにはさすがに言い知れぬ不安が男を襲う。
彼女の身になにかあったのではないか。
スラム街という治安の悪さも手伝って、考えは悪い方ばかりに向かう。
男は、笑顔を絶やさず饅頭を売っていた彼女を思い浮かべて、その身を案ずるしかできなかった。

屋台を目にすることができたのは、翌週の月曜日だった。
仕事の都合で八番街スラムに向かうことができるようになったのは夕刻の時となってしまったが、八番饅頭の屋台はいつもの定位置にあった。
男は足早に屋台へと向かう。
しかしその足は、屋台に到着する前に徐々にスピードを落とした。
屋台に待ち焦がれた彼女の姿がない。
いつも一緒にいた小柄な老人だけがそこにいたのだ。
いつもはふたりでやっている仕事を今日はひとりでこなしていたのだろうか。
老人はかなり疲れた顔をして、折りたたみの小さな椅子に腰掛けていた。
「あの……」
気後れしながらも声をかける。
「ああ、饅頭かい? 今蒸してるからちょいと待ってくれればすぐ出せる」
「あ、いえそうじゃなくて……」
男がそう言うと、老人は男を一瞥し、またかといった顔でため息をついた。
「あんたもあの娘が目的か」
言い当てられた恥ずかしさで何も言えずにいると、老人はまた椅子に座り直して言った。
「あの娘…ティファは辞めちまったよ」
「そう、ですか」
予感はあったが、こうはっきり言われるとやはり落ち込んだ。
彼女の名前以外なにも知らない現状。
それは、この先会える手立てがもうないということを意味していた。
男は身長が高くて大柄だ。
そんな大男が頭を垂れる姿はなかなか気の毒な様で、老人も同情の眼差しを向けざるを得ない。
「まあそんなに落ち込むなよ。ていうか、落ち込みたいのは俺のほうだぜ」
最高のパートーナーを失った痛手は大きいらしく、男はしばらくの間、老人の愚痴に付き合わされた。

「まあ、あんたもいつまでも落ち込んでてもしょうがないぜ」
話を聞いてもらったことで吹っ切れたのか、老人は先よりは随分と明るい顔をしてそう言った。
いつも思っていたことだが、スラム街の住民たちは皆逞しい。
環境がそうさせているのだろうが、男にはそれが眩しく見えるときもあった。
「縁があれば、またどこかで出会えるさ」
老人がそう言ってニカッと笑う。
釣られて男も笑った。
同時に、蒸したての饅頭の匂いが男の食欲をそそる。
それに気づいた老人が立ち上がって言った。
「饅頭、買っていくのか?」
「ああ、ひとつ頼む」


男は出来たてホカホカの八番饅頭を口に頬張る。
甘辛いはずの八番饅頭は、今日は少しほろ苦かった。


スキンヘッドの片思い。

(2021.08.01)

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