誘惑

いつもより少し遅いクラウドの帰宅。
帰宅途中に偶然シドと会い、そのまま無理やり酒飲みに付き合わされた、とグチをこぼすクラウドをティファはクスクスと笑って出迎えた。
そうしたクラウドの手には茶色の紙袋。
「なあに、それ?」
ティファの視線の先を追ったクラウドは少し笑った。
「ああ、これはシドからもらった土産だ。中身は酒みたいだけど」
酒飲みに付き合わされ、その詫びにと手土産に持たせたものがまた酒という酒好きのシドらしい手持たせの品にティファも笑う。
「ねえ、ちょっと飲んでみない?」
そう言ったのはティファだった。
シドに負けず劣らずティファも酒は結構イケる口。
そんな彼女からの誘いならよろこんでと、クラウドはシドに誘われた時よりも遥かに嬉しそうな顔でうなずいた。
「その前にシャワー浴びてくる」

そう言ったクラウドを待つ間、ティファは酒のつまみを用意した。
しかし手際の良いティファはその準備もすぐに終わる。
他にすることがなくなり、シドからもらったその酒をなんとなく眺めた。
仕事柄、アルコールにはずいぶんと詳しくなったティファだが、シドからもらったそれは見たことがなかった。
「……ちょっとだけ」
初めて見る酒の誘惑に負けて、ティファは誰に言うでもない言い訳をしながらそれを一口飲んだ。
そのティファの顔がパッと輝く。
「なにこれ、おいしいじゃない!」
思わずそう零してしまうほど、その酒はティファを一瞬のうちに虜にさせた。
甘い香りと軽い口当たり。
一口だけのつもりが少しずつ少しずつティファの喉を潤させる。
それはまるで、その酒に誘われているかのようだった。



「なんだ、もうやってるのか?」
シャワーを浴びて戻ってきたクラウドの眼にグラスを傾けるティファの姿が映った。
クラウドが苦笑しながらそうからかうと、そのティファは「お先に」と楽しげに微笑んだ。
そうしたティファの紅い瞳が思いのほかトロンとしている。
「珍しいな、もう酔ってるのか?」
となりに座りながら、もう一度ティファをからかった。
するとティファは、クラウドの腕にしなだれかかるようにしながら顔を寄せた。
「ねえねえクラウド~、コレ美味しいよ。軽くって飲みやすいし~」
いつもと違う舌足らずなしゃべり方。加えてこのスキンシップ。
からかって言ったつもりのクラウドは少しの違和感を感じながら、もう一度ティファを見た。
近くで見るティファの瞳は明らかに酔った特有のそれだった。
そしてシドからもらった酒のボトルに目をやったが、酔ってしまうほど飲んだという形跡はみられない。
「ティファ、今日はこの辺で止めておけ」
アルコールに強いティファがこの程度で酔っ払うとはにわか信じがたいが、仕事の疲れも重なって酔いが回るのが早かったのかもしれない。
そう思ったクラウドはボトルを取り上げた。
するとティファは拗ねたように頬を膨らませる。
「や~だ! まだ飲み足りないよ~」
そんなティファはあまりにもかわいくて、クラウドはつい甘やかしてしまいそうになる。が、同時に滅多に見ることのないそうしたしぐさから彼女は相当酔っているのだということが感じられて心配になった。
「ダメだ」
「もうどうして~? クラウドのイジワル~」
「い、いや、イジワルで言ってるんじゃなくて……」
そろそろ本気で困り果てるクラウドに対し、ティファはますます楽しげな様子をみせる。
「ねえクラウド、それ返して?」
首をかしげてそうお願いする姿にクラウドは一瞬言葉を失った。
甘えたしぐさをあまり見せることのない彼女のそんな姿に鼓動はドキドキと高く跳ねた。
そうしたクラウドの隙をついてティファはボトルを取り戻そうと立ち上がる。
途端、ティファの身体がグラリと大きくよろけた。
咄嗟にクラウドが抱き支えるも、足に力が入らないティファはヘタヘタと床にしゃがみ込む。
それに合わせてクラウドも床に膝をついた。
「あれ~? おかしいな~」
よろけたことに対して、ティファはそうひとりごとのように呟く。
そんなティファをクラウドが心配する顔で抱き支えていると、クラウドの携帯電話が鳴った。
しなだれるティファを片腕に抱き直して携帯の着信表示を見ると、それはティファをこのようにさせた酒を手土産に持たせたシドからだった。



「おいシド、なんだあの酒は?」
電話に出るや否や、クラウドが真っ先に口を切った。
『おお、その酒のことで言い忘れたことがあってな』
悪い予感にクラウドの声が低く唸る。
「まさか変な酒じゃないだろうな?」
『おまえな、なんでオレ様がそんな酒を渡すんだ!?』
憤然とした物言いのシドに対して結論を急ぐクラウドは適当に謝る。
「ああ、悪かった。で、なんだあの酒は?」
『…ったく、人の話聞いてんのか? まあいいや、実はあの酒なアルコール度数がちょいとばかり高いんだ。少量でも酔っ払っちまうから飲み過ぎるなよって忠告だ』
そんなことは酒を持たせた時点で言ってくれよと思いながら、クラウドはがっくりと肩を落とした。
「……遅いよ。ティファが酔っ払った」
ティファを見つめながらため息まじりにそうぼやくと、シドの苦笑う声が耳に入る。
『なんだよ早えーな。まあでも普通の酒だ、そう心配すんな』
そこまで言ってからシドは一旦言葉を区切り、そして先よりも声を少し抑え気味に、けれどもどこか弾んだ声で続けた。
『それよりおまえ、ティファ酔わせてなにするつもり…』
低俗な会話が続きそうな予感に、クラウドは最後まで聞かずに憮然とした顔で通話終了のボタンを押す。
そうしてから、腕のなかでぼーっとおとなしくしているティファに目をやった。



酔っているティファをどうこうしようなどというシドの俗っぽい期待に添うつもりはないけれど、酔っている相手が相手なだけにそれを我慢できるかといったらそれはまた別問題だ。
そんなことを考えながらティファを見ると、とろんとした紅い瞳と目が合った。
クラウドのそうした心配をよそにティファは無邪気な笑顔を向けてくる。
クラウドは早くも負けてしまいそうになる理性をなんとか奮い立たせて、ティファを抱き起こした。
「ほらティファ、部屋に戻るぞ」
ここは早々にティファを部屋に戻すのが最善の手段。
そう思って促してみても、すでに足腰に力が入らないほど酔いがまわっているティファはクラウドに寄りかかるばかり。
ならばと抱き上げて部屋へ連れて行こうとすると、ティファは子どもみたいに駄々をこねた。
「や~だ。歩いていける!」
そう言い張るティファが立ち上がるのをクラウドは待った。
けれどティファは言ったことをすでに忘れたのか、動こうとする気配を見せない。
クラウドは途方に暮れた。
そうした中、それまで動きを見せなかったティファがふいに身体を起こした。
突然の軽快な動きにクラウドが一瞬たじろいでいると……
「クラウド~暑いよ~」
そう言ってティファは着ているシャツのボタンを外し始めた。
たどたどしくひとつふたつとボタンが外され、そして開かれたシャツからやわらかそうな胸のふくらみがクラウドの視界に飛び込んでくる。
クラウドは慌ててティファの手を抑えた。
「ティ、ティファ! ちょ、ちょっと待て!」
ただでさえ酔っていつも以上の色香を漂わせているというのに、これ以上劣情を煽られるような真似をされては堪らない。
そんなふうに焦るクラウドをよそに、脱ぐのを止められたティファは頬を膨らませた。
「どーして止めるの?」
「ど、どうしてって言われても……」
クラウドは困ったように頭をかいたり、また、ちらちらと見え隠れするティファの白い胸元から視線をそらせるように横を向いたり、うつむいたりと落ち着きをなくす。
すると、それまで不満顔だったティファがふわっと笑った。
その笑顔にクラウドがドキッとしたのも束の間、そんなクラウドの首にティファは両腕を伸ばして抱きつくようにしてきた。
「クラウド、かわいい~」
「ティ、ティファ!?」
突然の抱擁にクラウドは声を裏返す。
ぴったりと密着するティファの身体はアルコールのせいで熱く、その熱はクラウドの身体をも徐々に熱くさせた。
その要因はアルコールの熱だけではない。
やわらかで豊かなティファの胸が当たっていることのほうがクラウドの身体を熱っぽくさせていたのだ。
されるがまま手出しもできずに顔を火照らすクラウドを見て、ティファはくすくすと楽しそうに笑う。
「クラウド~顔真っ赤~」
「……酔ってるティファに言われたくないぞ」
「酔ってないもん」
「酔って…」
クラウドが最後まで言い返せなかったのは唇を重ねてきたティファのせい。
一瞬のできごとにクラウドが目を見開いて驚いていると、ティファはくすりと笑って同じ言葉を繰り返した。
「酔ってないもん」
「酔っ…」
半ば放心状態のままクラウドも同じ言葉で切り返したが、またもティファの唇によって言葉を遮られた。
「ティ…」
クラウドが言葉を発すれば発するほど、その都度ティファは唇を重ねてそれを遮る。
重ねられる唇のやわらかさと顔を寄せてくるたびに香るティファの甘い匂い。
次第にクラウドの余裕をなくさせた。
「……ティファ、俺にこんなことして後悔しても知らないからな?」
余裕のない顔でそう告げる。
けれど、ティファはそれを無視するかのように甘やかな笑みで言った。
「好き」
ドクンと一際高く跳ねたクラウドの鼓動。
ふたたびティファから唇を重ねられた瞬間、クラウドは弾かれたようにそうする彼女の身体をきつく抱きしめた。
短いキスばかりを繰り返していたティファの頭を抱き込んで、クラウドは長く口づける。
そうされて苦しそうにもがくティファの訴えなど聞き入れるつもりはもうないと、クラウドは容赦なく深いキスを落した。



「俺のブレーキ壊したのはティファだからな、責任とってもらうぞ」
そう言ってクラウドはティファを抱えて自室へと向かう。
半開きになっていた部屋のドアをもどかしいとばかりに肩で荒々しく押し開け、ティファをベッドの上に横たわらせる。
クラウドは素早く彼女の上に覆いかぶさるようにした。
そして白い首筋に顔を埋め、高まり過ぎた欲情を熱い吐息に変えて少し自身を落ち着かせる。
ふとここにきて、こうまでされても抵抗するどころか身動ぎひとつしないティファにクラウドはイヤな予感を感じた。
「……ティファ?」
おずおずとそう名を呼んで上体をゆっくり起こすと、クラウドは自分の予感が的中していたことに気が抜けた。
「……拷問だな」
小さな寝息をたてる無防備な寝姿に思わずそうぼやいて深く息を吐く。
そうして猛る欲望を抑え込みながら緩やかな弧を描く額に口づけを落としたあと、クラウドは自室を後にした。



翌日、自室から出てきたティファをクラウドはリビングで出迎えた。
「おはよう、気分は?」
クラウドが淹れたばかりの珈琲を飲みながらそう聞くと、ティファは寝乱れた髪を整えながら今の状況を把握しようと辺りを見回した。
「う、うん、なんともないけど……えっと、私…」
ティファは昨日シドからもらった酒をちょっと飲んだところまでは覚えていた。
けれどそれから後のことが記憶にない。
朝起きて、自分がクラウドのベッドで寝ていたことにティファは混乱していた。
そんなティファを見てクラウドは苦笑う。
「ティファ、当分のあいだ飲酒禁止な」
「えっ、私なにかしちゃった?」
「さあ」
「もう! イジワルしないで教えて」
そう言ってクラウドに詰め寄ったティファの動きがふと止まる。
「クラウド、寝てないの?」
寝不足を思わせるようなクラウドの目を見て、ティファが眉を寄せた。
そんなティファをちらりと見ながらクラウドはぼやくように言う。
「ああ、壊されたブレーキ直してたから」
「……フェンリルの?」
それを聞いた途端、クラウドの脱力感が一気に増した。
人の気も知らないでと思いながらティファを見ると、きょとんとした顔をしている。
クラウドは思わず苦笑した。
そして……

「ティファ、今夜は俺にとことん付き合ってもらうからな」
「えっ、だってさっきクラウド飲酒禁止って……」
「酒じゃない」
「え?」
「まあ、せいぜい覚悟しておくんだな」
不可解な顔をするティファにクラウドはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


お預け食らった狼は怖い怖い。ティファ早く逃げてー!

(2006.06.17)
(2018.11月:加筆修正)

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