初めての夜

「悪いなクラウド。まあ、急ぐあれでもないし、のんびり行ってきてくれや」
申し訳なさそうに頭をかいて、シドはいつものように煙草を吹かした。

決戦を終えた今、クラウドたちは飛空艇を拠点としながら復興の旅を続けている。
そうした中、だいぶ酷使していた飛空艇がとうとう故障してしまい、それで急遽必要な部品の買い出しにクラウドとティファが近くの街まで出かけることとなった。


「ティファ、今日のごはんの支度はあたしに任せといて!」
そう言って自分の胸をトンと自信ありげに叩くユフィに対して、周りにいた仲間たちは深いため息をこぼした。
お世辞にも上手とは言えないユフィの料理。
仲間たちが今日の食事が残念なものになるのを想像した結果の態度に、
「あー! なんなのさー、そのイヤそうな顔!」
露骨な仲間たちの態度にユフィが頬を膨らませた。
そんなやり取りを見て、クラウドとティファは苦笑いをする。
「じゃあ行って来る。なにかあったら携帯に連絡してくれ」
そう言って、クラウドとティファはチョコボを走らせ出発した。

それを見送りながら、ユフィは両腕を頭の後ろに組んでつぶやいた。
「あのふたり、奥手だからな~。きっとなにもなく帰ってきちゃうと思うよ」
本人たちがそう言ったわけではないが、クラウドとティファが恋仲なのは皆知っている。
そしておそらく今が一番楽しい時期であるはずなのに、周りを気にし過ぎてかふたりは一緒にいることが滅多になかった。
だから今日の買い出しは仲間たちのちょっとした気づかいのつもりでもあったのだ。
「まあ、ちぃーとばかり、おせっかいな気がしなくもないがな」
煙草の煙を燻らせながらシドが苦笑した。
「いいんだって! あのふたりにはこれくらいしてやってちょうどいいぐらいなんだから」
そう言うユフィにバレットが呆れた顔でその頭を小突く。
「ガキじゃねえんだからほっといてやれよ」
「なんだよー。そんなこと言ってるとごはん作ってやんないよ!」
口を尖らせてそう言った彼女を見て、みんなは安堵の息を吐きながら声を揃えて言った。
「それは助かる……」



仲間たちがそんなやり取りをしている頃、クラウドとティファは街を目指して順調にチョコボを走らせていた。
しかし、空を覆う雲にクラウドは眉を寄せる。
「雲行きが怪しくなってきたな」
乗っているチョコボの手綱を取りながらクラウドは空を見上げて言った。
並走していたティファもクラウドと同じように空を見上げる。
飛空艇を出た時も空は灰色の雲で覆われていたが、今はそれよりも黒っぽい雲が大きく空を占領していた。
そんな空を見上げながら、ティファは出発前に聞いたラジオの天気予報を思い返す。
確か予報では雨が降り出すのは夕刻頃だと言っていたが、どうやらそれよりもずいぶんと早くに降り出しそうだった。
「街までもう少しだ。ティファ、スピード出せるか?」
「うん大丈夫。クラウド急ごう」



なんとか雨に降られることなく街まで到着したふたりは、まず街の入口にあるチョコボ預かり所で乗ってきたチョコボを預け、そして街のなかへと踏み出した。
そこそこ大きなその街は大小たくさんの商店が軒を連ね、大いに賑わっていた。
そうした雰囲気はティファの胸を踊らせる。
「雨が降る前に到着できてよかったね」
少しはしゃいだ感じのその様子にクラウドもつられて笑みをこぼした。
「ああ、そうだな」
そうしてふたりは最初に工具店でシドに頼まれた修理に必要な部品を買い、次に雑貨店で日用品などの不足分を買い足した。
そして大体の必要な物を買い揃えた頃、雨がぽつぽつを降りだした。

店の軒先でしばらく様子を見ていたふたりだったが雨脚はだんだんと強まっていた。
「けっこう降ってきちゃったね」
小雨程度のぱらつきなら、どうにか帰れる距離だったが、今降っている雨はかなり強い。
「しょうがない。雨が止むまでしばらくこの辺りで時間を潰そう」
夕方ぐらいには止むだろうと考えて、クラウドとティファは店をブラブラと見て回ったり、喫茶店で休んだりしながら時間を潰した。
それはそれで二人っきりになることが滅多にないクラウドたちには楽しい時間だった。
しかし雨は一向に止む気配がなく、そればかりか時間が経つにつれて雨脚は強まっていた。

「雨、ひどくなってるね……」
喫茶店の窓から外を眺めてティファが呟くと、ちょうど皿を下げに来たウエイターが言った。
「お客さん、今夜は大荒れだってテレビで言ってましたよ」
その情報にふたりは困った様子で顔を見合わせる。
するとウエイターは、そうしたふたりを見てひとつの案を持ちかけた。
「旅の方なら宿屋を利用されてはどうですか? この店を出た先にありますよ」
親切にそう言ったウエイターは頭を下げて席を離れた。
ウエイターが去ったあとのふたりの席にはぎこちない沈黙が漂っている。



クラウドとティファそれぞれが思う宿屋へ泊まることの意味。
互いの想いを知り得てからのふたりにキス以上の進展はなかった。
けれど想いを寄せる者同士、キス以上を求め合う気持ちはごく自然なことで、クラウドとティファもまた例外ではない。
とりわけ男のクラウドはそうした思いが強く、それは普段の生活のなかでも視線やふとしたときに触れ合う指先などにティファはその思いを感じていた。
しかし恋愛に不慣れなティファは彼をもっと知りたいと思う気持ちと、その先へ踏み込むことへの不安に揺れていた。
そうした迷いはクラウドにも伝わっていて、彼女の気持ちをいちばんとするクラウドは無理強いなどはせず、ティファが自然とそういう気持ちになるのを待っていた。
そして今もそんなティファの様子を見て、ぎこちない雰囲気をゆるりと変える。
「もうしばらく待ってみて、それでもダメなら宿を取ろうか」
そうしたクラウドのやさしさにティファはほっとしたように息をつき、そしてその言葉に甘えてうなずいた。



降り続く雨音を聞きながら、ふたりは雨露をしのぐために集まった人々で賑わうホテルのロビーにいた。
あれからしばらく喫茶店で様子を見ていたが、結局ウエイターの言うとおり雨は強くなる一方だった。
クラウドたちが並ぶフロントも、いつもより多い来客の対応に追われて従業員が忙しくしている。
そうした様子を目に映しながら、ふたりは言葉もなく順番を待っている。
その面持ちは幾分、緊張していた。

「お客様、シングルのお部屋とダブルのお部屋、どちらになさいますか?」
クラウドたちの番になり、フロント係の者が丁寧且つ事務的にそう聞いてきた。
クラウドとティファの間に緊張にも似た空気が張りつめる。
それはふたりだけにしか分からない微妙な空気。
クラウドはとなりに立つティファに目を向ける。
うつむいているティファから表情は読み取れない。
クラウドは彼女の指先にそっと触れた。
するとティファは一瞬ぴくりと身体を震わせたが、触れられているその手を払いのける様子はない。
クラウドはフロントに告げる。
―― ダブルの部屋で」
それを耳にしたティファの胸がドクンと、一際高く跳ねた。



鍵を受け取って中に入ると、そこはアイボリー色を基調としたシンプルな部屋だった。
旅で何度も利用した宿。
その部屋の造りはどこも似ている。
今いる部屋も他となんら変わりはない。
なのに、唯一決定的に異なるダブルのベッドがティファを緊張させていた。
部屋の奥へ進み荷物を置いたクラウドは入口で立ったままのティファを見て、ふと苦笑う。
「荷物、置いたら?」
クラウドにそう言われて、ティファは初めて自分がボーっと突っ立ったままだったことに気づいた。
「う、うん……」
ぎこちない返事をしながら、買い込んだ荷物を置くティファにクラウドは言う。
「先にシャワー使っていいよ」
「……うん」
部屋に入ってから“うん”しか言わないティファをクラウドは困ったような笑みを浮かべて見ていた。
けれど、その彼とまともに顔を合わせられずにいたティファはそれに気づかない。
まるで逃げる様にバスルームに入り、一人になった空間で大きく息をついた。


一方、部屋で一人になったクラウドも大きく息をついていた。
金色の髪をクシャッとかきあげながら、近くにあったソファに身体を沈める。
―― 俺はティファの気持ちを読み誤ったのかもしれない
クラウドはそんな思いにとらわれていた。



シャワーを浴びながらも、ティファの頭のなかはいろいろな考えが駆け巡っていた。
覚悟を決めたつもりだったのに、いざその状況に直面すると心臓は壊れそうなほどに打ち乱れ、頭のなかはまともなことが考えられないぐらい混乱していた。
今クラウドはどんな気持ちなんだろう。
そんな思いがティファの頭によぎる。
ティファが見るかぎり、クラウドはすごく落ち着いているように見えた。
自分は心臓が壊れそうなほどドキドキしているのに、クラウドは平気なんだろうかと疑問に思う。
そしてその疑問は、ティファに新たな考えをもたらせた。
自分は一晩一緒の部屋で過ごす意味を勝手にそうだと決め付けていたけど、実はクラウドはそんなことを考えていないんじゃないかと。
ユフィあたりが聞いたら、ありえないと一笑に付されそうな考えでも今のティファには真面目にそう思えた。
そんなふうにいろいろと考え、またどんな顔をして出ればいいのか分からず、ティファはいつもよりも長い時間をシャワーに要した。
けれど、ずっとバスルームの中にいることができるはずもなく、ティファは意を決してバスルームを出る。
クラウドは携帯を片手に話をしていた。


「……ああ、明日には帰る。―― わかった」
話を終えたクラウドは携帯をパタリと閉じ、そうしてからバスルームから出てきたティファを見た。
「シドたちに連絡入れておいた」
そう言って座っていたソファから立ち上がり、固まって動けないでいるティファの頭にポンポンと手を乗せる。
「紅茶淹れてあるから飲むといい。……落ち着くから」
クラウドはそう言ってバスルームに入って行った。
そしてティファは、クラウドが言った最後の言葉に頬をパッと赤くする。
それは自分が動揺していることを悟られているのを意味していて、そしてそんな態度は彼に気をつかわせていたのだと。
(ダメだな、私……)
自己嫌悪に陥りながらテーブルに目をやると、クラウドが用意してくれたティーポットとカップ。
ティファは一人になった部屋で用意してくれた紅茶を一口飲んだ。
温かい紅茶はティファを少しずつ落ち着かせ、そして改めてクラウドのやさしさを実感させた。
ティファは一息ついて窓辺に立ち、カーテンの隙間から外を眺める。
暗闇の中、先程よりも激しさを増す雨。
そんな光景を目にしていながらも、ティファはどこか遠くを見ていた。



カチャッと扉の開く音が部屋に響き、ティファはとっさに振り返る。
そしてバスルームから出てきたクラウドの姿に、落ち着きを取り戻していた心臓はまたドキドキと乱れ打ち始めた。
濡れた金色の髪を肩にかけたタオルで拭きながら、ちらりとこちらを見た碧の瞳。
そのしぐさ表情があまりにも艶っぽくて、当然意識せずにはいられず、赤く火照っているだろう自分の顔を見られたくなくてティファはうつむいた。
床しか見えないその視界に、ややしてクラウドの足が見え、それと同時にやさしい声で名前を呼ばれてティファはおずおずと顔をあげる。
クラウドは困ったように小さく笑っていた。
「ティファ、俺といるのにそんなふうに怯えないでくれ」
見ているほうが切なくなってしまう、そんな笑い顔にもならない表情のクラウドにティファはあわてて首を振った。
「ち、違うの。あの、クラウドのことが怖いとかそういうのじゃなくて……」
クラウドを傷つけたくなくてティファは必死で言葉を紡ぐ。
「私、緊張してるだけだから……」
顔を真っ赤にしてそう言うティファに、クラウドもまた自身の張り詰めていた緊張を解くようにほっと息をついた。
「俺も同じだ」
そう言ってティファの手を取り、自分の胸に押し当てる。
ティファの手のひらにクラウドの心臓が大きく鼓動しているのを感じた。
自分だけではなく、クラウドも同じであったことはティファをずいぶんと安心させる。
そしてその顔に小さな笑みを作らせた。
この部屋に入って初めて見るティファのその笑顔にクラウドは目を細める。
そして胸に当てたままのその手を引き、ティファの身体をやさしく抱きしめた。


愛おしげに髪を撫でられ、その逞しい胸のなかに抱きしめられていると、ティファはドキドキしながらもとても幸せな気持ちで満たされていた。
クラウドはいつだってやさしかった。だから自分もそれに応えたい。
ティファがそっと顔をあげると、碧の瞳を甘やかにした視線が注がれた。
そしてそんなクラウドの顔がゆっくりと傾きながら近づき、ティファもそれに従ってゆっくりと目を閉じる。
薄い唇がやさしく触れた。



明かりを薄く落とした部屋のなかで、クラウドはティファをやさしくベッドに組み敷いた。
ティファは恥ずかしさと緊張と不安を映した瞳でクラウドを見上げる。
クラウドはそんなティファにふっと笑んでから、額にやさしくキスをした。
その精悍な唇は羽のように長い睫毛や白くなめらかな頬にキスの雨を降らせる。
そして艷やかな赤い唇に自分の唇を重ねた。
はじめはただ重ねるだけだった口づけも、次第に角度を変えながらより深いものへと変わっていく。
そうしたキスにティファは酸素も思考も奪われそうになって、とっさにクラウドの腕をぎゅっとつかんだ。
クラウドがわずかに唇を離すと、ティファは不規則な呼吸を繰り返しながら潤んでとろんとした瞳でクラウドを見つめる。
そうした表情にクラウドは自分の意識が遠退くような感覚に捕らわれて、眉根をきつく寄せた。
可能なかぎりやさしく接するつもりだったが、色香を漂わせたティファを目の当たりにしているとそれもきつく感じられた。
「……ティファ」
耳元でいつもよりも低い掠れた声で名をささやくと、ティファはおずおずとしながらもその白い腕をクラウドの背中にまわした。
瞬間、クラウドは堰を切ったように激しくティファに口づけた。
先程までのとは違う熱いキスにティファは驚き、無意識に顔を横に振った。
しかし、そうしたティファの頭をクラウドが押さえつけるようにして動きを制し、呼吸を奪うようなキスを繰り返す。
そうした情熱的なキスにティファは気持ちが追いつかないまま押し流されてしまいそうな怖さを感じて、必死でクラウドの胸を押し返した。
「ま、待って、クラウ…」
「待てない」
ティファの言葉尻をかぶせてクラウドは短くきっぱりと言った。
その碧い瞳はひどく真剣で、苦しさとか切なさなどをないまぜにした表情でティファを見つめる。
「俺はもう待てないよ、ティファ……」


幼い頃からの想い。
ずっと自分の胸の内に秘めていた想いは、今やっと解き放たれて心を通わせるまでになった。
そして長い間募らせたその想いはやがて――
彼女のすべてが欲しい、彼女のすべてを知りたい、彼女とひとつになりたいと願うようになった。
手が届きそうで届かない距離にいながらそうした想いを抱えていたクラウドは、今のこの状況でこれ以上待つなんてことは出来なかった。

「……ずっと…好きだった」
もって行き場のない想いを吐露したクラウドの気持ちはティファの胸に素直に響いた。
心を決めたティファの瞳にもう迷いはなく、その紅の瞳は愛おしさの涙で濡れて光っている。
クラウドの精悍な頬を包み込むようにそっと両の手をそえた。
「私も……クラウドが、好き」
その瞳から零れ落ちる涙を拭ってやりながら、クラウドは愛おしく想う彼女の身体に身を沈めた。



窓を打つ雨音はふたりの耳にもう届かない。
ふたりで過ごす初めての夜は、お互いの呼吸と肌の温もりだけを感じるやさしくて甘やかな夜だった。


書いた当初はあまり丁寧に書き込んでなかったなと思って、今回かなり大幅に加筆修正しました。

(2005.10.19)
(2018.11月:加筆修正)

Page Top