メロディー

うちにピアノが届いたのは三日前。
艶黒の大きなピアノはクラウドがティファのために贈ったプレゼントだ。
ティファはその昔ピアノを習っていたらしく、鍵盤を叩く指はとてもなめらかだった。
そんなティファにとっての懐かしいピアノは毎日耳に心地良いメロディーを奏でる。
それをクラウドやマリンがうれしそうに見て聴いていた。
もちろん僕にとっても心地良いメロディー。
けれど、そう感じるのと同時に僕はとてもさみしい気持ちにおそわれた。
だってティファのピアノは、今はいない僕の母さんを思い出させたから……



いつもより早く学校が終わった日、家に帰ると誰もいなかった。
マリンはまだ学校から帰ってなくて、クラウドは仕事で、ティファはたぶん買い物に出ているのかもしれない。
そんな静かな家の中の階段を上り、リビングを通って自分の部屋に入ろうとしたけれど、リビングにある艶黒のピアノが僕の足を止まらせた。
母さんがいつも楽しそうに弾いていた面影をピアノに見て、僕の足はゆっくりとそこへ向かう。

僕はいつも母さんのとなりに座り、母さんの弾くピアノを聴いたり、時には一緒に弾いたりしていた。
母さんがそうしていたように僕は椅子に座って鍵盤を一本叩く。
ポーンと高い音が静かな部屋に長く響いた。
その音が鳴り止んでから、今度は両手を鍵盤に乗せて記憶を辿りながら思い出の曲を弾いてみる。
母さんに勧められて少しだけ習ったピアノ。
そのピアノに触れなくなってからずいぶん経つのに、それでも指はその感覚を覚えていた。
そして母さんは僕がじょうずに弾けばとてもよろこんでたくさん褒めてくれた。
僕はそのよろこぶ顔が見たくて、母さんが大好きだと言ったこの曲をいっぱい練習した。



「デンゼル、上手じゃない」
母さんの声がティファの声と重なった。
振り返ると、買い物の荷物を抱えたティファがリビングの入り口に立っていた。
「ピアノ習ってたの?」
そう言いながら、荷物をテーブルの上に置いてうれしそうに僕のそばに来る。
この家で僕がピアノを弾いたのは今日が初めてだった。
「うん、少しだけ母さんに……」
気恥ずかしくなってうつむくと、そんな僕の肩にティファの温かい手がのった。
「ねえ、いま弾いてた曲もう一度聴かせて?」
この曲は昔から好きだとティファが言った。
また母さんと重なる。
そんなふうに母さんと重なるたび、僕はティファをまっすぐに見ることが出来なくなってうつむいた。
だけどティファはそんな僕のとなりに座ってクスッと笑う。
「じゃあ、一緒に弾こうか?」

ティファはいつもよりはしゃいでいるように見えた。
そして僕はその理由をなんとなくわかってしまう。
ピアノが弾けるという僕との共通点がうれしかったんだと思う。
僕は普段クラウドのそばにいることはあっても、ティファのそばにいることはあまりない。もちろんティファのことが嫌いなわけじゃない。いや、どちらかというなら大好きなほうだ。
でもティファのそばにいると、そのやさしさや温かさが必要以上に母さんを思い出させた。
僕にはそれが今はまだ少し辛くて、無意識にティファのことを避けていたのかもしれない。

「デンゼル、どうしたの?」
ずっと黙ったままの僕を心配する。
そんな気にかける表情にもまたティファと母さんが重なって、僕はたまらなくなってぎゅっと目をつむった。
そうした僕の額にティファの温かな手を感じた。
「どこか具合悪い?」
そう聞かれたのと同時に僕は思わず、額にあてがわれたティファの手を強く払いのけた。
当然、僕のとった態度はティファを戸惑わせる。
そしてその顔に悲しげな表情を浮かべさせた。
―― 傷つけた
僕は動揺して、あわてて椅子から立ち上がった。
「ごめん! 何でもないから……ごめんなさい」
その場から逃げるように部屋を出た。



その日の夜、お手洗いで目を覚ました僕が部屋を出ようとした時、リビングからクラウドとティファの声が聞こえた。
小さな声で話をするふたりの会話の中に自分の名前が聞こえて、僕はドキドキする胸を押さえながらそっとリビングをのぞき見た。

「私、デンゼルに嫌われたかな……」
昼間のことを言っているのだとすぐにわかった。
肩も頭も落としたそんなティファの頭をクラウドがやさしく撫でる。
「そんなんじゃないよ。あまり気に病むな」
うつむいているティファが泣いているように見えて、それはまた母さんが泣いているようにも見えた。



そんなことがあってからも、ティファは今までと変わりなく僕に接してきた。
それがティファのやさしさだということは子どもの僕でもわかる。
だから僕も心のどこかにある遠慮を押しやって、できるかぎりの普通をした。
そうして前と変わらない日常に戻ったかのように見えたけど、ひとつだけ変わったことがあった。
それはティファがピアノをあまり弾かなくなったことだ。
唯一、僕に気を遣うそれにチクリと胸が痛んだけれど、あまり気にしないようにした。気にしないようにすることで、ギクシャクしてしまいそうな自分をごまかしていた。



ピアノがなかった日々と同じような日常が過ぎてそれにも慣れた日の頃、ひさしぶりにリビングからピアノの音色が聞こえた。
母さんが、僕が、そしてティファが好きだと言ったあの曲。
その曲を弾くティファの顔はおだやかで、その表情と同じやわらかい音色が昼間の静かなリビングをやさしく包んでいた。
そうしたやさしい音色に誘われるように、その音を奏でるティファのそばに近づく。
そんな僕の気配に気づいたのか、ティファの手がふと止まった。
こっちに振り返った顔に少しだけ気まずさが見えたけれど、それはすぐにかき消され、ティファの顔にいつもの笑顔に戻る。
「おかえりなさい、デンゼル」
そう言って鍵盤蓋を下ろして立ち上がろうとするティファに僕はあわてて言った。
「あっ、ティファ。あの……もう少し聴かせて」
ティファが弾くやさしいメロディーをもっと聴いていたかった。
ティファはその顔をパッと明るくして、うれしそうにうなずいた。
そうしてから椅子に座り直して蓋をあげ、一呼吸置いてからピアノを弾き始めた。
やさしいメロディーが再びリビングを包む。
それにほっとしながら、僕はティファのそばに立った。

ティファは弾きながら時折、聴いている僕にやわらかな笑みを向けてきた。
そのやさしすぎる笑顔と心地良いメロディーが次第に僕の視界を滲ませる。
じわりと滲む視界にとうとう耐えきれなくなったとき、僕は思わずティファの服の背をぎゅっと掴んだ。
ピタリと止んだメロディー。
「デン…ゼル?」
身体ごと僕へと向きを変えて心配するやさしい声。
思い出が一度に押し寄せて溢れだし、僕はティファに抱きすがった。
「…っ……母さんっ」
口にしないと決めていた言葉。
けれど、それを声に出してしまったら、涙はますます止まらなくなった。

声を押し殺して溢れてくる涙を止められないでいると、ティファの腕がふわりと伸びて僕の背中にまわった。
ティファは僕の体をやさしく包むように抱きしめてくれた。
そうして何も言わずに、震える僕の体をその温かい手で何度も何度もさすってくれる。
いつまでもそうしてくれるティファに僕は夢中でしがみつき、声を上げていっぱいいっぱい泣いた。



あの日から僕はピアノを習っている。
先生はもちろんティファだ。
ふたりで並んでピアノを弾いていると、マリンも一緒に並んでまねをしたり、クラウドが僕たちの間に入って邪魔をしたりした。
練習にもならないそんな時間はとても楽しくて、僕は毎日笑っている。
マネっこするマリンも、邪魔ばかりするクラウドも笑っている。
ティファの奏でるメロディー。
それはみんなを笑顔にさせるやさしいメロディー。


デンゼルの一人称、ACだと「オレ」だけど、心の声は僕なんじゃないかなと勝手に決めつけて書いています。すみません。
ティファのピアノの話は書いてみたかったので今回こういう形でお話にしてみました。

(2007.07.10)
(2018.10月:加筆修正)

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