彼とチョコボ

最後の洗濯物を干し終えて、額にうっすらとかいた汗を手の甲で拭う。
一息つけばそよぐ風も気持ちよく、洗濯したばかりの真っ白なシーツと黒髪を風がやさしく靡かせた。
抜けるような青い八月の空に大きな入道雲。
その眩しく照らす真夏の太陽に向かって、ティファは右手を翳した。

薬指にはめた少しごつめのシルバーリングは、クラウドのピアスとお揃いのリング。
今年の誕生日に彼から貰ったそれは今いちばんの大切な宝物だ。
ティファは右手をさまざまな角度に変えながら、指輪を眺めて一人笑みを浮かべる。
クラウドがこの指輪を選んだ時、どんなことを考えながら買ってくれたのかと想像すると、それだけで幸せな気持ちに包まれた。



「そーんなに嬉しかったの?」
突然の声とともに後ろから抱きつかれてティファは小さな悲鳴をあげて振り返ると、そこにはニヤニヤと笑うユフィの顔。
ティファは翳していた右手をあわてて下ろし、緩んだ顔を急いで普通に戻す。
そんなふうにあたふたとする様はユフィをさらにニヤけさせた。
「ティファ可愛いことしてるね~。こんなとこクラウドに見られたら、こーんなふうにされちゃうよ?」
そう言いながらユフィはティファに抱きつく腕にぎゅっと力をこめた。
「ユフィ!!」
顔を真っ赤にするティファからお小言をもらいそうな気配に、ユフィは素早く身体を飛び退かせて姿勢をビシッと正す。
「報告です! そろそろみんなが戻ってくるので昼食の準備をお願いします」
そんなおどけた口調は、ティファをしょうがないな~とばかりにクスクス笑わせた。



復興作業も落ち着いた今、そのほとんどは男たちだけの手で事足りていた。
だからティファとユフィは、活動の拠点としているハイウインドで皆が快適に過ごせるように生活全般を任されている。

「あ、そうそう、クラウドはチョコボファームに寄ってから帰るって言ってたよ」
甲板を出て食堂へ向かう途中、ユフィがそう付け足した。
「チョコボファーム?」
「うん。もうすぐチョコボが生まれるみたい」
そう言ってから、ユフィはティファの顔を覗き込んだ。
「クラウド、帰って来なくてさみしい?」
先ほどから、からかってばかりのユフィにティファは顔を赤らめながらも制裁。
「もうユフィはお昼ごはんなし!」
そう言って、ティファはその場を立ち去る。
その背中にユフィの情けない声が響いた。
「う~冗談だってば! 待ってよ~ティファ~」



時計の針が十二時を回ればクラウドの誕生日だ。
深夜のキッチンでちらりと時計を見たティファは、誕生日ケーキの最後の仕上げをしていた。
甘いものが苦手なクラウドのために紅茶のシフォンケーキを用意した。
そしてクラウドへのプレゼントはさんざん悩んだが、結局何がいいのか分からずに直接欲しい物を聞くことにした。
だからせめてケーキだけは手作りにして、日付が変わったらいちばんにおめでとうを言ってお祝いしようと思っていたのだ。
けれど、その彼は夕飯の時間になっても姿を現さず、そして深夜になった今もハイウインドにその姿はなかった。

「……行ってみようかな」
ラッピングしたケーキを前にして頬杖をつくティファはポツリと呟いた。
チョコボに乗れば牧場まではそう遠くない距離。
この辺りに潜むモンスターも自分ひとりでなんとかすることができる。
ただ、こんな時間帯にひとりで出歩くことは咎められるかもしれない。
それでも、帰って来ないクラウドのことのほうがティファには心配だった。



牧場にはクラウドが乗って来たと思われるチョコボが一匹、柵に囲われた中に放たれていた。
ティファも自分が乗って来たチョコボを同じ柵のなかに入れて、ご苦労さまとその首を撫でる。
するとチョコボはクエッと気持ち良さそうに鳴き、そうしてからティファが手に持っていたケーキの包みをくちばしで突っついた。
「これはダメよ。クラウドのなんだから」
ティファがあわててケーキを後ろ手に隠すと、チョコボは恨めしげな声を上げた。
そうする姿にティファは苦笑する。
「あなたの分はまた今度ね」
チョコボに向かってそう言った時――

「ティファ?」
よく知るその声にビクッと身体を震わせて振り返ると、驚いた顔をしているクラウドの姿。ティファは手に持っていたケーキを素早く近くにあった物置台に隠すように置く。
「こんな時間に一人でここまで来たのか?」
そう聞くクラウドの眉間には少しだけしわが寄っていた。
自分の取った行動をあまり好ましく思っていないその様子は、ティファの身体を縮こませる。
「あ、あの、ごめんなさい。その……クラウドが帰って来なくて心配で……」
ティファのしゃべる声がだんだんと小さくなる。それにともなって頭も垂れた。
そんな頭上でクラウドが小さくため息を吐いたのが聞こえ、その呆れたようなため息にティファはきゅっと唇を噛みしめた。
後悔先にたたずだが、自分の軽率な行動を今になって悔やんだ。
そうしてティファにとっての居心地の悪い沈黙が続く。
顔を上げることもできずにしょんぼりとうなだれていると、そんなティファの頭にポンポンと大きな手がのった。
「チョコボ生まれたんだ。見る?」
顔をそっと上げて見ればクラウドの眉間にしわはなく、その代わりに碧い瞳がやわらかに輝いていた。
そのやさしい眼差しにティファの顔はぱっと笑顔になり、「うん!」と大きくうなずく。
そんなティファの鼻をクラウドはキュッとつまんだ。
「ほんとだったらこんな時間にひとりで出歩くなんて説教だ。でもまあ今回は、連絡ひとつ入れなかった俺が原因だからな」
そう言ってチョコボ小屋に向かって歩く。
そんなクラウドの背中にティファはごめんねとありがとうをそっと呟いて後を追った。



小屋の中に入ると、生まれたばかりの子チョコボと母親チョコボが寄り添っていた。
その微笑ましい姿にふたりは笑みが零れる。
「かわいいね」
「そうだな、かわいいな」
「クラウドと同じだね?」
「俺の頭のこと言ってるのか?」
ティファは以前、クラウドの髪型を“チョコボ頭”と言ったことがある。
それを皮肉る彼にティファは笑って首を振った。
「違うよ。お誕生日が一緒だねってこと」
今日生まれたチョコボはクラウドと同じ誕生日。
きょとんとした顔をしているクラウドにティファはクスクスと笑った。
「やっぱり忘れてる。クラウド、お誕生日おめでとう」
そう言われてやっと、クラウドは今日が自分の誕生日だということに気づいた。
「ああ、ありがとう」
照れくさそうにそう言うクラウドにティファは申し訳なさそうな顔をする。
「あのね、プレゼント何をあげたらよろこんでもらえるのか分からなくてケーキしか用意してないの。だからクラウドの欲しいもの教えて?」
クラウドは小さく笑みながら首を振る。
「ケーキだけで十分だ」
「え、ダメだよ。私はこんな素敵なプレゼント貰ったのに……」
そう言って、ティファは右手にはめた指輪を大事そうにさわった。
そうする姿はクラウドの目を細める。
「物だけがプレゼントじゃないだろ?」
誕生日の今日、誰よりもいちばんにティファからおめでとうの言葉を貰えた。それがなによりも最高のプレゼントだとクラウドは思う。
しかし、ティファにそう言ってもあまり納得した顔をしていない。
クラウドは苦笑し、ならばといま思いついたことを口にした。
「じゃあ、俺の頼み聞いてくれるか?」
「もちろん! なんでも言って」
そう言って顔を輝かせるティファにまた苦笑いし、そうしてからそんな彼女の腕を引いて歩き出しながらクラウドは言った。
「じゃあ今から、チョコボで早朝デート」



小屋を出ると、夏の暁が早くも牧場周辺を薄っすらと青白く染め始めていた。
そしてチョコボのいる柵の前まで来ると、ティファは目の前の光景に顔面蒼白となる。
クラウドのために用意したケーキがチョコボに突っつかれていて、ラッピングはおろか中身のケーキもぐしゃぐしゃにされていたのだ。
ティファは悲鳴に近い声を上げながら慌ててチョコボからケーキを取り上げる。
しかしそのほとんどはすでに食べ尽くされていて、かろうじて残っていたひと欠片程度の無惨なケーキにティファは泣きそうな顔で嘆いた。
クラウドは悪いと思いつつもそんなティファが可笑しくて肩を揺らせて笑う。
そうしてから、ケーキを食べて満足気な顔でいるチョコボに苦笑いながらその手綱を取った。
「俺のケーキを食べたおまえに決まりだ。今から運動な」
言ってクラウドは軽やかにそのチョコボの背に飛び乗る。
そして、未だがっかりと肩を落とすティファに手を差し伸べて言った。
「おいで、ティファ」
ティファはびっくりした顔をする。
「えっ? ふ、ふたり乗り?」
「当然」
クラウドはさらりと事もなげにそう言ったが、ひとりで乗るものだと思っていたティファは気恥ずかしくてもじもじとする。
「ほら、ティファ早く」
そう急かされて、ティファは観念したように真っ赤な顔で聞いた。
「ま、前と後ろ、どっちに乗ればいい、の?」
するとクラウドはクッと笑い出し、そうしてから身を少し屈めてティファの腕を取った。
「前に決まってる」
言うが早いか、クラウドに腕を取られたティファの身体はふわりと宙に浮き、そしてあっという間にクラウドの前に横乗りする形で座らされた。

そんなに広くはないチョコボの背に二人乗りする体勢は否が応にも密着度が増す。
肩に触れる精悍な胸板、そして顔を上げればすぐそばにある端正な顔立ち。
手綱を取るクラウドの腕に囲われるようにされているティファは、落ち着きを失うほどの恥ずかしさに見舞われた。
そんなティファにクラウドは言う。
「ティファ、落ちないようにしっかり掴まってろよ」
ティファは迷いに迷ってチョコボにしがみつく。
そんなティファを見て、クラウドがやや呆れた顔をした。
「……ティファ、掴まる相手が違うだろ?」
「だ、だって……」
クラウドの身体に腕をまわせば、ほぼ抱き合う形になるのだ。
それはあまりにも恥ずかしくてとても出来そうにもないとティファは思った。
クラウドは最初こそ辛抱強く待っていたが、しかしいつまでも腕をまわしてこないティファにだんだんとしびれを切らして……
「走るぞ?」
それは脅しでも何でもなくて、クラウドはチョコボに脚を入れて走らせた。
結果、走る加速でバランスを崩しそうになったティファは慌ててクラウドの身体にしがみつく形となった。

頬に当たる無駄のない筋肉質の硬い胸や鼻先を掠めるクラウドの匂いなど、ティファの全神経がクラウドを意識する。
とうぜん景色を眺める余裕もなくて、火照る顔を見られないようにと俯きがちになる。
そんなティファをちらりと見て小さく笑ったクラウドが言った。
「ティファ、見て」
言われて顔を上げたティファの目に、東の空に朝焼けが広がって雄大な大地がやさしい色に包まれている世界を映した。
一日の始まりを告げる眩しい朝の光は、朝露に濡れた草花をキラキラと輝かせている。そんな夏の朝のさわやかな景色にティファは感嘆の吐息を零した。
その様子にクラウドは満悦しながら、周りの景色をゆっくりと眺められるように先程よりも幾分スピードを落とす。
「こうしてティファと一緒にチョコボに乗るのも、これが最後かもしれないな」
「えっ、最後?」
「うん、……ああ、まだ言ってなかったっけ」
驚いた顔をしているティファを見てクラウドはそう言い、そうしてから最後と言ったわけを話し始めた。
そのクラウドの言うことは、チョコボを自然の中に返すということだった。
戦いを終えた今、チョコボの力を借りることはもうほとんどなくて、ならば元いた自然に返してやるのがいちばんなのではないかというのがクラウドの考えだった。
ティファもクラウドのその考えに賛同した。
もちろん馴れ親しんだチョコボとのお別れはさみしかったけれど、チョコボのためを思うならそれがいちばんいいのかもしれないと思ったのだ。



チョコボを休めるためにクラウドが手綱を調節する。
徐々に走るスピードが落ち、そして完全に止まったところでティファはチョコボの首を撫でながらぎゅっと抱きついた。
「今までありがとう」
ねぎらいを込めた抱擁にチョコボがうれしそうに喉を鳴らす。
そのあまりにも愛らしい姿にティファは微笑み、チョコボの首筋にキスをした。
すると、その様子を見ていたクラウドがポツリと呟く。
「ティファ、俺もう一個プレゼントが欲しい」
この早朝デート以外のものをねだるクラウドにティファはうれしそうに笑ってうなずいた。
「うん! なんでも言って」
そう言ったティファにクラウドはその瞳を甘やかにする。
「キスして」
そのストレートな言葉はティファの心臓を高く跳ねさせて、顔を一瞬のうちに真っ赤にさせた。
クラウドは手綱を下ろし、代わりにティファの腰に腕をまわして引き寄せる。
「俺にもして、ティファ」
そのセリフにティファは目を丸くし、そうしてからクラウドの表情をまじまじと見た。
碧い瞳は面白くないといったようなつむじを曲げた色が映っている。
そして”俺にも”と言った言葉から察するに、クラウドはチョコボにキスしたことを妬いたのだとわかった。
ティファは可笑しくなってクスッと笑う。
今日はそんな彼の誕生日。
「お誕生日おめでとう、クラウド」
そう言ってティファはクラウドにそっとキスをした。
しかしクラウドにとってはキスとは言いがたい一瞬だけのくちづけ。
「……もっと」
足りないとばかりにせがむクラウドにティファは頬を染めながらもう一度キスをする。
「もっとして、ティファ」
繰り返すくちづけとそれを何度も求める声。
ティファは恥ずかしさよりも可笑しさのほうが大きくなって笑い出す。
笑われて今度はクラウドのほうがその顔をほんのりと赤くさせた。
ティファはそんなクラウドの頬を両手でそっと包む。
「クラウド、子どもみたい」
ひとつ歳を重ねたはずのクラウドが子どもみたいでとても愛おしかった。
「クラウド、お誕生日おめでとう。―― 大好き」
そう言って唇を重ねたティファのキスは長い長いくちづけ。
クラウドの腕がそんなティファをしっかりと抱きしめて、その口づけをさらに深く甘いキスへと変えていく。
静かな朝焼けの中、二人を乗せたチョコボがうれしそうに鳴き声を上げた。


クエッ、クエエエッ!
訳:2006年クラウド誕生日記念小説です。

(2006.08.10)
(2018.10月:加筆修正)

Page Top