千万無量

また奴が来た。
ここ最近、仕事帰りには必ずオレの店に立ち寄り、珈琲を注文する。
確かにまた来いとは言ったけど――



「いつもの頼む」
奴が言う“いつもの”とは、オレの店で扱うメニューの中でも最高級の豆で挽く珈琲。
それをオーダーしてくるなんて普通だったら大喜びだ。
だが、コイツに対してだけは違う。
「おいクラウド。今日こそ金払っていけよな」
そう、コイツ―― クラウドは毎回金を払っていかないのだ。
こんな店でも慈善事業でやっているわけじゃない。ちゃんとした商売だ。
なのにコイツはまるで知人の家に遊びに来て、お茶を飲んで帰るみたいな感覚でオレの店にやって来る。
貧困極める客から金を絞り取ろうとは思わないが、起業家であるコイツに金がないとは言わせない。
オレよりも遥かに稼いでいるであろうクラウドに非難の目を向けると、奴は一枚のカードを提示した。
「どうしてだ? 俺はこれを持ってるんだぞ」
当たり前のように見せられたそのカード。
オレは体をわなわな震わせながら、大きな声で教えてやった。
「そ、それはティファちゃんにやったものだ!」



今年のティファちゃんの誕生日、オレは彼女に一枚のカードをプレゼントした。
―― ジョニーズヘブン・プレミアムカード
このカードを提示すれば無料で飲み物が飲めるスペシャルカードだ。
しかも期限はなし。
もちろんティファちゃん専用だ。カードにもそう記してある。
なのに――
「なんでおまえがそのカードを持ってるんだ!? しかも勝手にストライフ家専用にしやがって」
ティファちゃん専用の文字の横になぜか書いた記憶のない、”クラウド様、デンゼル様、マリン様も使用可”という文字がマジックで大きく太く追記されているのだ。
おかげでクラウドだけじゃなく、デンゼルやマリンまでもがこのカードを持って飲み物を頼み、ここでおやつを食べる始末だ。
しかも肝心のティファちゃんは一度も来ていないという。

「おまえが小賢しい真似するからだ」
生意気にもクラウドはそう言って鼻をふんと鳴らし、そっぽを向いた。
そこに悪びれる様子は全くなく、むしろ挑発的なその態度が余計に腹立たしい。
そして今のオレはクラウドに対して、もっと別のことでも腹を立てているのだ。
この際だからと、オレはこの怒りの勢いに任せて前から言ってやりたかったことを口にした。
「おまえさ、さっさとティファちゃんと結婚しろよ」
いつまでも同棲という中途半端なことに甘んじているクラウドにいちばん腹を立てているのだ。

他人の恋愛事にまで口を出すつもりはないけれど、こと、ティファちゃんに関しては別問題。彼女は特別だ。
その彼女がコイツと同棲してずいぶんの日が経っている。
そんな宙ぶらりんな状態を続けていれば、男ならともかく女の人は将来に不安を抱いても当然なわけで、それはティファちゃんだってきっと同じだ。
だから彼女がそんな不安を抱いているかもと思ったら、オレは同じ男としてクラウドのことを責めずにはいられなかった。



そんなオレの予期せぬ話にクラウドは一瞬驚いた顔を見せたが、でもすぐにいつもの涼しげな顔を取り戻して珈琲をゆっくりと啜り、ちらりとオレを見て言ったのだ。
「俺がティファと結婚してもいいのか?」
「いいわけねえだろッ!」
思わず本音が口をついて出た。
許す許さないの問題ならば、そんなこと許すわけがない。
彼女は誰のものでもなく、この先もずっとみんなのアイドル的な存在でいてもらいたいのだから。
「言ってることが滅茶苦茶だな」
そんなことは百も承知だ。
本音は嫌。だけどティファちゃんのためを思ったらそう言わざるを得ない。
察しの悪いクラウドにイライラしながら、オレはつい口荒に言ってしまった。
「ごちゃごちゃ言わずに結婚すればいいんだよ!」
そう口を滑らせてから、しまった!と思った。
オレの命令口調がクラウドの眉をピクリと動かし、コーヒーカップに口づけようとしていた手をピタリと止めさせたからだ。
そうしてから、ゆっくりとオレに向けた碧い瞳が氷のように冷たく光る。
「おまえには関係ないだろ」
静かなその物言いはかなり低い声。
大声で荒げられるよりもすげー怖い。
思わず、あなたのおっしゃる通りですと頭を下げ、そんなクラウドを外へと追い出し、速攻で閉店札を下げたかったオレ。
が、よくよく見ると、クラウドの怒りの対象はオレではないように見えた。

目の前に置かれた珈琲カップにじっと目を据える様子は、まるで鏡に映る自分自身と向き合い睨んでいるような感じだ。
何かに対しての思い悩みと自身への苛立ちが交錯するようなその表情に、オレは言葉を詰まらせる。
だがしかし、ここでオレが気後れすればせっかくの訴えが無になってしまう。
これ以上クラウドの感情を逆なでするのは恐ろしい気もしたが、一か八かの覚悟を決めてオレは大きな声で言ってやった。
「オレにも関係あるんだよ!」
威圧的な態度が効果を極めたと思いたいけれど、うるさそうに眉間に皺をよせるクラウドを見るかぎり、ただ呆れている感じは否めない。
「……なんでだよ」
半ば投げやりに聞かれたそれにオレは胸を張って答えた。
「オレはティファちゃんが好きだった。本当に大好きだった。だからだ!」
説得力の欠片もない力説はクラウドに大きなため息を吐かせた。
「訳が分からないな」
言って肩を竦めるクラウドに、オレの繊細な気持ちがおまえなんかに分かってたまるか―― と心の中で叫んだ。



かつての七番街で15歳の彼女と出会い、それからずっと彼女を見てきた。
いつも明るく振る舞う彼女。けれど、そうする笑顔の下には底知れぬ苦労があったことをオレは知っている。
だからこそ、彼女には本当に幸せになってもらいたいのだ。
もちろんオレが幸せにしてあげることが出来るならそうしたい。
けれどオレには出来ない。
それが出来るのは――

「おまえにしかティファちゃんを幸せにすることが出来ないからそう言ってるんだろ?」
こんなことをライバルに言うほど悔しいことはない。
少しは察しろよと恨めしく睨んだけれど、クラウドはただ黙って珈琲を飲んでいた。
すべてを言い切ったオレは相手の出方をただじっと待つ。

「ティファは……」
ずいぶんと長い沈黙のあと、クラウドはぽつりとそう言った。
クラウドの視線は目の前にいるオレではなく、コーヒーカップ一点だ。
自身の心に見立てたそのカップに自問するかのように言葉は続いた。
「俺なんかと結婚して幸せになれるんだろうか……」



もう終わりだと皆が思ったこの星を救い、その後も復興支援に力を注いで世間から称揚された者―― クラウドは誰もがうらやむそんな男だ。
そうした周りからの評価は男としての自信にも繋がるはずだ。
けれどクラウド自身はそうは思っていない。
自分に自信が持てないでいるのだ。
その自信のないクラウドの姿は、過去のオレと重なった。

オレは過去に一度、好きな女性にプロポーズをしたことがある。
混乱極めた世界の情勢に煽られて勢いで言った感はあったけれど、それでも彼女への想いは本気だった。
しかし世界が落ち着きを取り戻し、そしてオレ自身も冷静になった時に初めて、自分には何もないことに思い悩み始めた。
胸を張り、これだけは誰にも負けないと自負できるものが全くなかったのだ。
そしてそんな自分が人の人生まで背負えるのかと急に怖じ気づいた。
そう思う気持ちは黙っていても相手に伝わるもので、結局いつまでもウジウジとしているオレに彼女のほうが業を煮やし、縁を切られたのだ。
そうした苦い経験で分かったことはただひとつ。

オレは大きく呼吸を整えてからゆっくりと言った。
「おまえはさ、ティファちゃんのことが好きすぎて、ティファちゃんの幸せを第一に考えるあまり結婚に踏み切れないんだよな?」
この話を始めてからずっとカップに向けられていたクラウドの視線が、今初めてオレに向けられた。
答えを求めて縋るような瞳。
そんな目をしていることに本人はきっと無自覚だ。
深い森の中に迷い、道を見いだせないでいるクラウドにオレは道を切り開く灯りとなるべく言葉を続けた。
「だけどさ、ティファちゃんはおまえが好きなんだぜ? おまえもティファちゃんのこと好きなんだろ? ならそれでいいじゃないか。幸せっていうのは互いのそういう想いがあればこそ、それに繋がるんじゃないのか?」

世間の体裁を気にしたオレに彼女が去り際に言った言葉。
―― 好きだと想う気持ちだけで私はよかったのに
偽りない気持ちのその言葉に、オレはひとり涙を落とした。
他人からは不幸せに見えても、本人たちが幸せだと思えればそれが幸せ。
幸福論などと言えば大袈裟だけど、オレ自身が辿り着いた答えがこれなのだ。



クラウドに目を向けると、碧い瞳が先程よりも明るくなったのを感じた。
理解を示してくれたかどうか定かではないが、少なくともオレに対して否定的ではないことは明らかだった。
そのことにちょっと気を良くしたオレは、しんみりとした口調で言う。
「オレとおまえって案外似た者同士かもな?」
クラウドのことを意外と純粋な男なんだと思ってそう同意を求めてみたが、それはあっさりと否定された。
「悪いが似てるとは全然思えないし、思いたくないし、そう思われるのはハッキリ言って迷惑だ」
そう言ったクラウドは、すっかりといつもの憎たらしい生意気な姿に戻っていた。
ほんの少しでも可愛げのある奴、だなんて思ったことを早速後悔してみる。
そんなオレにクラウドはニヤリと笑み、じゃあなと言い残して、そしてやっぱり今日も金を払わずに帰って行った。



今度こそ必ず金を払わせる!
そう鼻息荒くして待っていたのに、クラウドはその翌日からぱたりと店に来なくなった。
来たら来たで迷惑極まりない客なのだが、来なきゃ来ないで気になる客。
ましてや、あんな話をした後だっただけにオレは殊更気を揉んだ。
本当はオレの言ったことを迷惑に思っていたのかもしれない、などと悶々と思い悩むこと数週間。
オレは自ら連絡を取ることに決めた。
でもさすがに用もなく連絡をするのは気が引けた。
ならばと、大して緊急を要する配達でもないそれを理由にストライフデリバリーへ依頼の電話をかけたのだ。
電話に出たのはティファちゃんだった。
後日クラウドをこちらに寄越すということで依頼を受けてくれた。
けれど、実際に店にやって来たのはクラウドではなくティファちゃんだった。



相変わらずかわいいティファちゃんを前にして、顔のあらゆるパーツを崩れさせながら再会を懐かしむ一通りの挨拶を交わす。
そんなティファちゃんの話によれば、今日はクラウドの代理でオレの店に来たと言う。
忙しくて奴が来れなかったのかと聞いたが、どうやらそうではないらしい。
当の本人は家で留守番をしていると彼女は言った。
やきもち妬きのクラウドが、なぜわざわざティファちゃんをオレの店に寄越すようなまねをしたのか?
その理由を考える。

―― 前回のオレのお節介が気にいらなかった
どう考えてもそれしか思い当たる節がなかった。

迷いの道に手助けをしたつもりのそれは相手にとってただ迷惑に過ぎなかったのか?
あの時、一瞬見せたクラウドの明るい表情もオレの勘違い?
その記憶さえも危ういものだと落ち込み激しくうなだれたその時、そうじゃないと思わせる答えがティファちゃんの左手にあった。
白く細い薬指に輝くプラチナリング。
右手にはめられたゴツい指輪と違い、繊細でシンプルなデザインのそれは結婚の約束を意味する指輪なのだとすぐに分かった。
そしてその指輪を彼女に贈ったであろう相手は、こうして遠回しにオレに報告をしてくれたのだ。

安堵と同時に苦笑いがこぼれる。
「ったく、面倒くさい奴」
そうぼやいたオレを見て、ティファちゃんはきょとんとする。
オレはそんな彼女に向き合い、真新しいリングを指差して聞いた。
「ティファちゃん、いま幸せ?」
突然そう聞かれた彼女は意味を解せず呆けた顔。
けれど指さされた指輪とそう聞いたオレを交互に見て理解したのか、彼女の頬は次第に赤く染まり、そうしてから恥ずかしさと嬉しさの交わった笑顔でうなずいた。
「うん、とても」
それはオレが今まで見た彼女の笑顔の中でいちばんの幸せそうな笑顔だった。



そんな時、携帯電話の着信音が店に鳴り響いた。
それはティファちゃんの携帯からで、彼女はディスプレイに表示された名前を見て微笑むと携帯を耳に当てた。
そんな笑顔を見れば、わざわざ聞くまでもなく相手はクラウドなのだとわかった。
あからさまに聞き耳を立てるのも悪いと思い、食器を拭きながら聞いてない素振りを見せる。
―― うん、荷物受け取ったよ。―― 久しぶりなんだし、もう少しゆっくりしていってもいいでしょ?」
クラウドの奴、早く帰って来いとか言ってるのか?
相変わらず独占欲だけは強い奴め……などと呆れていたら、ティファちゃんが不意にオレを見た。
「うん、ちょっと待って」
ティファちゃんは電話口にそう言って、携帯をオレに差し出す。
「クラウドが電話代わってくれって」
「オレに?」
彼女がうなずくのを確認しながら、携帯を受け取った。
直接文句を言うつもりか?
おそるおそる携帯を耳にあてる。
「……もしもし」
『ティファを長々と引き止めるなよ』
超が付くほどの不機嫌そうな声。
予想していたことをまんま口にするクラウドに呆れた。
「おまえな、わざわざそれを言うために電話代わったのか?」
『いや、それもあるがそうじゃない』
どっちだよ!?
この場合、そうツッコんでもいいんだろうか。
『今回の配達の代金、いらないから』
受話口から聞こえたそれに面食らった。
「えっ? オレちゃんと払うぜ?」
そう答え、珈琲をただ飲みするおまえとは違うんだとイヤミのひとつでも付け加えようとしたら、それよりも先にクラウドの声に阻まれた。
『いいんだ。配達の代金は今までの珈琲代に充ててくれ』
「なんだ、少しは気にしていたのか……って、おい! ちょっと待て!」
オレの突然の大声は、そばにいたティファちゃんをびっくりさせた。
そんな彼女には愛想笑いでこの場をごまかし、そして彼女に背を向けてから携帯の相手に声を極力抑えながら怒鳴った。
「あのな、配達の代金差し引いても、おまえが飲んだ珈琲代は全然足らねーんだよ!」
危うくクラウドの良識ぶった態度にごまかされるところだった、と冷や汗をかくオレの耳に白々しい声が触れる。
『俺、そんなに飲んだか?』
よくもまあ、そんなすっとぼけた返事ができるものだと半ば呆れたが、いまのオレは最高に気分がいい。
「あ~もういいよ、足りない珈琲代はオレからの結婚祝いだ」
すると、奴の小さく笑う声が聞こえた。
『ずいぶんと安い結婚祝いだな』
「なっ!? おまえなー……」
コイツと話していると憤りよりも脱力感のほうが勝る。
結局オレはなにひとつクラウドにはかなわないんだよな……と、なぞの敗北感に包まれながらオレがため息をついたその時、クラウドのふっと笑う声した。
『冗談だ。……その……いろいろとありがとう』
最後の言葉がオレを完全に舞い上がらせた。
「え? なんだって? よく聞こえないな」
『……ありがとうと言ったんだ』
「やっぱ聞こえね。もう一度」
『……』
一瞬の沈黙。
やべえ、調子に乗りすぎた!!
そう思っても、すでに後の祭り。
『……そこで待ってろ。ティファを迎えに行くついでに直接言ってやる』
先程までの穏やか声とは大違いの低く唸るようなクラウドの声に背筋が凍る。
「い、いや、聞こえた。ハッキリと聞こえた! うん、だから来なくていいからな!」
『ふん、遠慮なんてらしくないことするなよ。あーそれから、そこには耳の悪いモンスターもいるようだからな。俺が退治してやる』
言い訳する間もなく電話は切れ、後に残るはツーツーと虚しさ煽る電信音。
速攻、閉店札を下げたのは言うまでもない。


サイト二周年記念小説です。
一周年と同じくジョニーに登場してもらいました。
当サイトもこの二年でたくさんの方に訪問してもらえました。千万無量の思いでいっぱいです。

(2007.09.24)
(2018.10月:加筆修正)

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