仲直りの法則

それはいつもと変わらない彼女との就寝前のひとときだった。
ひとつの雑誌をベッドの上で一緒に見たり、他愛ないおしゃべりをしたり。
そのときの体勢はいつも決まっている。
俺はヘッドボードに背もたれて足を両サイドに広げて座り、そうする俺の前に彼女がちょこんと座る。そして俺はそんな彼女を背後からすっぽりと包み込むようにする、そんなスタイルだ。
俺はこの体勢がすごく好きだ。
彼女のやさしい髪の香りをすぐそばで感じる密着度や、囲った腕に男の俺にはない、なめらかな肌の心地よさ。
そしてなにより、恥ずかしそうにしながらも俺の胸に背を預ける彼女の警戒ない姿に嬉しくなるのだ。

「ティファはほんとやわらかいな。気持ちいい」
抱きしめる腕にひときわ力を込めてそう言うと、ティファがふいに顔を俺の方に向けた。
「……ねえ、クラウド」
「ん?」
「前から思ってたんだけど……」
「うん」
「それって私が太ってるって言ってるの?」
「……え?」
ティファの言ってる意味が俺にはわからなかった。けれど、俺を見る瞳や、そう訊ねる声に彼女が不服そうなのは見て取れる。
「だって、やわらかいとか気持ちいいとか、それって遠まわしに太くてぷにぷにしてるって言ってるんでしょ?」
「は?……ええっ!?」
どうしてそういう解釈になるんだ? と、俺は少し頭が混乱した。
そんな俺に追い打ちをかけるようにティファは今にも泣きそうな顔を向けて言う。
「私だって気にしてたのに……」
「い、いやいや、そうじゃなくて」
「じゃあそれは褒め言葉だって言うの?」
「もちろんそのつもりで言っ…」
「ウソ! そんなのウソ!」
泣きそうな顔はどこへやら、今のティファは完全に熱り立っていて俺に口をはさむ隙すら与えてくれない。
「ダイエットしろってはっきり言ってくれればいいのに……」
「ティ、ティファちょっと待て、俺そんなこと一言も…」
なんとか落ち着いて俺の話を聞いてもらおうとティファの腕を掴もうとしたが、思いっきり拒絶された。
「やっ! ぷにぷにした体になんか触らないで!」
「いや、俺はそのぷにぷにしたところが好きなんだって!」
「ほら! やっぱりぷにぷにしてるって思ってるんじゃない!」
「や、だからそういう意味じゃなくて…」
「ひどい、ひどいよ……クラウドなんてもうしらないっ!」
最後はなぜだかそう罵られて、殺風景な自室にひとりぽつんと取り残される―― という今の現状に至っている。

何が彼女をそんなに怒らせてしまったのか?
正直こうしている今もわからなかった。
だって俺は一度もティファのことを太っていると思ったことなどなくて、むしろ痩せているほうだと思っていたぐらいなのだから。
だけど俺は彼女を怒らせた。
……ぷにぷに発言がいけなかったのか?
そう自問してから、でもすぐに頭を振る。
いや、俺の言うぷにぷにはティファの言う太っているの意味ではなくて、女の人のやわらかさを言ったつもりだ。しかもそれが好きだと恥ずかしげもなく公言した。
じゃあ何がいけなかったのだろうか?
彼女が怒った理由をしばらく考えてはいたけれど、結局何もわからなかった。
とりあえずその夜はひとり寂しく寝た。
翌日になれば彼女の機嫌も直っているだろうと考えて。
けれどそれは、女心というものを全く理解していない俺の浅はかな考えだったことをこのあと身をもって知ることになるのだけれど……



朝のキッチンからはトーストや目玉焼き、カリカリに焼いたベーコンに挽きたての珈琲の匂いがした。
寝起きであっても食欲をそそる美味しそうなそれらはいつもと変わりない。
「クラウド、おはよー」
学校があるデンゼルたちは俺よりも早くに起床する。
すでに朝食にありついているそれもいつもと変わりない光景だ。
そんなデンゼルたちに朝の挨拶をしてから、忙しなく動くティファに目を向けた。
「ティファ、おは…」
「ほらデンゼル、マリン。早く食べないと遅刻しちゃうわよ」
ティファに向けた朝の挨拶は、ティファ本人によって遮られた。
俺のことなどちらりとも見ていない。
一瞬イヤな予感はしたが、朝の忙しい時間帯。タイミングが悪かっただけだと思い直して、もう一度ティファに声をかける。
「ティ…」
「大変! 洗濯の途中だった。ふたりとも食べ終わったら食器下げといてね」
やたらと説明くさいセリフで今度は名前すら最後まで呼ばせてくれなかった。
そしてそんな俺を残して、ティファはいそいそとキッチンを後にする。
それからもうひとつ言わせてもらうと、うちの洗濯機は全自動だ。ボタンひとつで放っておいても勝手にやってくれる。
俺にだってできる。あわてなくてはならない要素など一切ない。
なのにティファは出て行った。
もちろんそのあいだも俺のことは完全無視で……
ここでようやく、俺はティファの機嫌がまだ直っていないのだと気がついた。
そしてその異変にはデンゼルたちも感づく。
「……ティファとケンカでもしたの?」
「ん? んー……」
決まり悪さから適当に言葉を濁して、一応自分の分の朝食が準備されているそこに座る。
そしていつもはティファが淹れてくれる珈琲を今日はマリンが用意してくれた。
気持ちうなだれる俺の前にカップが置かれると、前に座るデンゼルがトーストをかじりながら言う。
「どうせクラウドがティファを怒らせるようなことしたんだろ?」
「俺はなにもしてない……と思う」
「でも、ティファがあんなふうなのってよっぽどじゃない?」
マリンはティファが出て行った方を見ながら自分の席に戻り、牛乳をごくっと飲んでそう言った。
確かにマリンの言うとおりで、ティファが怒ることはあっても、それを翌日まで引きずるなんてことは滅多になかった。
「クラウド、本当に心当たりないのかよ?」
デンゼルに聞かれて、俺は昨夜のことをもう一度思い返した。



ティファは俺の言ったことに対して太っていると誤解した。
俺はティファに誤解させる何を言った?
太っているなどと微塵も思っていないだけに、そんなつもりで言ったわけじゃない言葉はなかなか思い返せなかった。
「俺は確か……そうだ! ティファってやわらかいなって言ったんだ」
ぼそりと呟いたひとりごとのようなそれに、デンゼルたちは目を丸くした。
「やわらかい!? クラウド、どこ触ってんだよ!」
「へ? どこって……」
しばらく考えて、それからハッとする。
「ちょ、ちょっと待て!」
まるで痴漢でも見るかのようなふたりの視線に慌てた。
確かにティファのやわらかそうな部分と言えば、傍目にも明らかなあの部分をすぐに想像するのかもしれないが、今回は断じてそこをそう言ったわけじゃない。
「ふ、ふたりが想像してるとこじゃないぞ!?」
「本当に~?」
弁解の仕方が少し……いや、かなりいやらしく感じるのは自身でも認める。
でも、その変質者を見るような目つきだけはやめてくれ。
「お、俺は腕を触ってそう言ったんだ!」
「うで~??」
「そ、そうだ。腕だ」
いちゃラブ体勢だったことは内緒だ。
そんな大人の甘やかなコミュニケーションをデンゼルたちが今、知る必要はない。
仮にそんなことを正直に言おうものなら、ませたデンゼルたちのこと俺はさらに好奇の目に晒されるのは明白だ。
そう懸念したにも関わらず、デンゼルはケンカの原因よりもどこを触ってのやわらかい発言なのかに興味を示してニヤついている。
やっぱりなそれを無視して俺は話を進めた。
「で、そしたら突然ティファが怒って言ったんだ」
「なんて?」
「……太ってるなら太ってるとはっきり言えって」
「そんなことで?」
そう言ったのは俺と同じ男のデンゼルだった。
思わず、「だろ?」と言いかけたが、マリンが眉根を寄せてそれを遮る。
「そんなことじゃないよ」
俺とデンゼルはきょとんとしてしまった。
やっぱり意味がわからなかったのだ。
「なんでだよ、マリン」
素直にそう聞くデンゼルにマリンはふぅ~と呆れたようなため息をついた。
「あのね、女の子っていうのはいつでも自分のスタイルとか気にしてるものなの」
「ティファでも?」
「あたりまえじゃない! 女の子なんだから」
「いや、そういう意味じゃなくて、ティファぐらいスタイル良ければ悩む必要なんてないだろっていう意味だよ」
ほぼ俺の思うことをそのまま聞いてくれるデンゼルに同調しながら、黙ってふたりの会話を聞く。
マリンはさらに呆れた顔をして、俺とデンゼルを見た。
「あのねー、あのティファが自分のことをスタイル抜群だなんて思ってると思うの?」
「……」
思うわけないよな……と、俺は思った。

一般的に見れば、ティファは群を抜いてスタイルがいい部類に入るだろう。
周囲からそう言われることも多々あったはずだ。
けれど、ティファはいつだって自分に自信なさげだ。
彼女の性格を考えれば、それを理解できなくはない。
そう思う俺と同じことを考えていたのか、デンゼルも口を噤んだ。
そんな俺たちにマリンは言う。
「クラウドのことだから、考えなしにやわらかいやわらかいなんて言ってたんでしょ?」
「……」
全くその通りだったから返す言葉もない。
俺はティファを抱きしめるたびにそう言っていたような気がする。
だから昨夜のあれは突然なんかではなくて、俺の何気ない言葉にずっと悩んでのことだったのだとようやく理解できた。
しかし、俺ほど女心というものを理解しきれていないデンゼルは、よせばいいのにマリンをからかう。
「もしかしてマリンも気にしてたりするのか?」
「とうぜんでしょ!」
「まだ早いんじゃないの?」
「どういう意味よ!?」
「ん? そりゃあ出るとこ出っ張って、引っ込むとこ引っ込んでからのほうが……な、クラウド?」
「お、俺に同意を求めるな」
デンゼルから勝手に同士扱いされて、マリンからの非難を被る前にそれを否定する。
しかしすでに遅く、案の定、マリンは頬を膨らませながら俺とデンゼルを睨んだ。
「ひっど~い! わたしだって女の子なんだからねっ!!」
俺は思わず、デンゼルに向かって”ほらみろ”と意味を込めたため息をこぼした。
デンゼルは俺と同じで学習能力が少し足りないと思う今日この頃。
俺がマリンのことをよく子ども扱いしてこっぴどく叱られているのを見ているはずなのに、これだからだ。
幼くても女の子。
うちにはレディがふたりいることを忘れてはいけない。
そう思う俺に、マリンはまだ憤りおさまらない顔を向けて言った。
「だからクラウド、ティファにちゃんとごめんなさいするんだよ?」
もちろんそうしたいのは山々だったけれど、今朝のティファの様子を考えると気持ちは沈んだ。
あんなふうに声をかけることもままならない状態で、俺はティファに謝ることができるのか分からなかった。
「どうすればいいのかわからないって顔ね?」
小さなレディにはすべてお見通しのようだ。
その通りですとばかりな顔を向けると、マリンに大きなため息をつかれてしまった。
「しょうがないな~。じゃあ、わたしが今からとっておきの仲直りのしかた、教えてあげるね」
そう言うとマリンはおもむろに、となりに座るデンゼルに向きなおった。
「いいクラウド、ちゃんと見ててよ。まず相手の手をにぎって……」
デンゼルを代役に見立てたマリンがその両手をぎゅっと握る。
そうされた代役のデンゼルはあたふたとしていたが、マリンは気にすることなく続けた。
「相手の目をまっすぐ見つめるの。そして……」
そう言った通りにマリンはじっとデンゼルを見つめる。
デンゼルの顔は真っ赤だ。
俺はこの後に続くマリンの仲直りの仕方に少しドキドキした。
ま、まさかここで大人の仲直りを教えてくれるわけじゃないよな??
そんなことを思う俺の前で、マリンは代役のデンゼルにかわいく小首を傾げて「ごめんね」と言った。
その愛らしい仲直りの仕方にほっと胸をなで下ろす。
「わかった? クラウド」
小さな指導者は、まるで先生か親のような聞き方をする。
そうされる自分は本当に出来の悪い子どもみたいだと、苦笑しながらうなずいた。
男の俺がマリンのようにするにはかなり薄気味悪いけれど、要はきちんと誠意を込めて謝れば、相手にちゃんと伝わるということをマリンは教えてくれたのだ。



「あーもうこんな時間!」
壁掛け時計に目をやったマリンはそう叫びながら席を立ち、残りわずかな牛乳を飲み干すデンゼルを促す。
「ほらデンゼル、早く!」
「あっ、待てよマリン」
言いながらも尚、キウイをほおばるデンゼルをマリンはスクールバッグを手にしながら足踏み状態で待っていた。
「クラウド、後片付けしておいてね」
「じゃあなクラウド! ちゃんと仲直りしろよ」
あわただしく家を出るふたりを見送り、ひとりになったキッチンを見回して小さく息をついた。
本来ならこういうドタバタした朝の情景をティファとふたりで苦笑いしあっていただろう。
しかしそうすることが出来ない今の現状。
ケンカをするということは、こういう些細な日常の共有も許されないのだと今更ながらに思い知らされた。
そんな寂しさに急き立てながら、デンゼルたちと自分の食器を片付けてキッチンを後にする。
向かった先はティファがいるであろう洗濯機のある脱衣場だ。
しかしそこにティファの姿はなかった。
ベランダものぞいて見たが、干されたばかりの洗濯物が静かな風でひらひらと揺れているだけだった。
清潔感漂う香りが今はやけに寂しさを誘う。
その香りを背にしながらティファの部屋に向かった。



彼女の部屋を前にして少し戸惑ったのは、閉ざされたその扉が彼女の心の壁のように見えたからだ。
俺と接することを拒む壁。
はたして彼女は心の扉を開けてくれるだろうか?
一抹の不安を抱えながら、おそるおそるノックする。
少ししてから扉はほんの少し控えめに開かれた。
けれど、そこからティファの姿は見えない。
本当は彼女と向かい合って話をしたかったけれど、開かれた扉の大きさが彼女の許してくれた心の距離なのだと自分に言い聞かせて、強引に部屋の中へ踏み込むことはぐっと堪えた。
「ティファ、昨日はその……ごめんな?」
「……」
「いや、昨日だけじゃなくて今までずっとティファを傷つけてたよな……ごめん」
「……」
目を見て話すことが出来ない分、気持ちがちゃんと伝わるように謝った。
けれどティファはずっと黙ったままだった。
顔が見えない今、彼女が俺の言葉をどう受け止めているのかわからない。
また何も言ってくれないことから不安だけが募った。
扉一枚隔てたすぐそばで感じるティファの気配。
腕を伸ばし、彼女を抱きしめ、言葉だけでは伝わらない想いを伝えたい切なさと、それが出来ないもどかしさに耐えながら、俺は彼女からの言葉をひたすら待った。

時間にすればそれはほんのわずかな時間。けれど俺にとっては気の遠くなるほどの沈黙の後、ティファは小さな声で言った。
「……もう謝らないで」
「えっ?」
予想していなかった彼女からの言葉に声を詰まらせた。
まるですべてを拒絶されたような感じに不安を覚える。
「……俺に謝られることもイヤか?」
落ち込み激しい中でかろうじてそう聞くと、ティファの焦る気配を感じた。
「あ、あのね、そうじゃなくて……」
ティファはそこで一旦口を噤んで、そうしてから言葉を選ぶようにゆっくりと話し続けた。
「……クラウドが遠回しでイヤミを言う人じゃないってわかってるのに、私ひとりで勝手に怒ってその……ごめんねっていう意味」
相手を責めるよりも自分を責める。ティファらしいなと思った。
そしてそんな彼女に謝らせたことが切なかった。
「ティファが謝るなよ。悪いのは俺なんだから」
「ううん、私が悪いの」
互いにそう言い合った後――
「……ごめんな」
「……ごめんね」
ふたりの声が重なった仲直りしたいの言葉。
ぴったりと合ったそれが可笑しくて、またお互いの気持ちが通じ合った嬉しさと照れくささから、扉を挟んでふたりで笑った。
扉越しに聞こえる彼女のクスクスと笑う声。
仲直りをした今、その声を聞くだけで満足するなんて俺にできるはずがなくて……
「ティファ、部屋ん中入っていい?」
そう聞くと、ティファは少ししてから小さな声で言った。
「……だめ」
「なんで?」
「……恥ずかしいから」
そんなかわいいことを言われたら、なおさら引き下がれない。
俺はそっと、けれど素早く少しの隙間から身体を割り込ませてティファの部屋の中へ入った。
「ごめん、言うこときけなかった」
さっきのごめんよりもあまり悪いと思っていないごめんは、扉のすぐそばにいたティファの顔を真っ赤にして俯かせた。
そんな彼女の両手をつかみ、マリンから教えてもらったとっておきの仲直り―― プラス恋人仲直りを実践する。
ぎゅっと彼女を抱きしめた。
腕に囲ったティファはやっぱりやわらかくて、彼女の温もりを感じて嬉しいとか、愛おしくて離したくないと思う気持ちが緩やかにやさしく俺の中を満たしていく。
とても心地良いそれが俺はやっぱり好きだ。
改めてそう思いながら、俺はケンカをする前よりももっと仲良しになる”ごめんね”と”好きだよ”の気持ちを込めたキスをたくさんした。



その日の夜、仕事を終えて帰宅すると美味しそうな夕飯の匂いがした。
いつもと変わりなく見えるそれも、仲直りをした今日はいつもとほんの少しだけ違う。
俺の好物ばかりが並ぶ食卓。
彼女が照れくさそうに言ったおかえりなさい。
そして、そんな俺たちをほおづえつきながら楽しげに見る子どもたちの笑顔。
ささやかな幸せとはきっとこういうことだ。


ケンカの原因がこんなんですみませんm(_ _)m

(2008.03.15)
(2018.09月:加筆修正)

Page Top