遠距離恋愛

「お泊まりデートか~」
「そんなんじゃないってば」
「でもお泊まりするんでしょ?」
「……」

ティファは小さめの、一泊程度の荷物が入るバッグに洗顔セットや化粧水や乳液、パジャマに下着など文字通りどこかへ泊まるのに必要なそれらをせっせと詰め込んでいる。
そうした準備を忙しなくするティファの傍らで、ユフィは同じことを繰り返し言っては彼女の反応を楽しんでいた。
「ふ~ん、デートか~」
「だ、だからそれが目的じゃなくて、フェンリルのスペアキーを届けに…」
「で、そのあとデートしてお泊まりだ」
「もう! ユフィ!」
ティファがとうとう赤く染めた頬を膨らませてしまったので、ユフィは「ごめん、ごめん」と苦笑いながら茶化すのを止めた。



ここはエッジにあるセブンスヘブン。ティファの部屋の中だ。
そのティファがこうして一泊分の荷物をまとめているのは、彼女の言うようにフェンリルのスペアキーを届けるため。
その持ち主であるクラウドは今、ロケット村のシドのもとで彼からの依頼事に手を尽くしていた。
日を要するそれはすでに二週間が経ち、その間クラウドはシドが用意してくれたホテルで寝泊まりをしている。
このように長期間も家を空けなければならない依頼にクラウドは当初難色を示したのだが、しかしそこはかつての仲間からの依頼。
むげに断ることもできずに渋々ながらも承諾したのだ。
休みの日にはエッジに帰ればいいとクラウドはそう考えていたらしかったが、しかし実際はそうすることができなかった。
そうできなかった理由はクラウド曰わく、休みの前日には無理やりシドに酒の相手をさせられて貴重な休みは二日酔いで潰された―― なのだそうだ。
そのクラウドからフェンリルのキーを失くしたからスペアキーを届けて欲しいと電話があったのが二日前。
エッジとロケット村までの距離は簡単に行き来できるような距離ではない。
クラウドのようにフェンリルなどの足があればまだいいが、普通に交通機関を使うとなるとゆうに半日は要する。
ティファにそうした時間の不自由はないけれど、家には幼い子どもがふたりいる。
学校があるデンゼルとマリンを連れて行くことはできないし、ましてやふたりだけで留守番をさせるなんて以ての外だ。
そこでティファはユフィに子どもたちの世話をお願いしたのだ。
そうした急な話にもかかわらず、ユフィは快く受けてくれた。
そしてロケット村へ出発する日の朝、その彼女からひやかされるという今に至っている。



「早くしないと列車、間に合わないよ。この時間逃したら次のまで結構な時間あるんだろ?」
そうなのだ。ロケット村に行くには途中までは列車を使い、そのあとはバスに乗り換えるというスムーズとは言いがたい移動手段を踏まなければならない。
行ってキーを届けるだけなのだが、そこはやはりティファだって恋する女。
二週間も好きな人と会っていない寂しさは普通にあって、彼の仕事も休みだと言う今日、ロケット村で待っているクラウドと少しでも長く一緒の時間を過ごしたいと思っているのだ。
ティファが乗るつもりでいる朝一番の列車に乗ってもロケット村に着くのは昼過ぎ。その時間を逃せば夕方になる。
一泊できるとはいえ、それだけではあまりにも寂しいと思った。
だからこうして慌てて支度をしている。
普段ならこういうことは事前にきちんと準備をするティファだが、セブンスヘブンを開けながらの急なそれにはやはりいろいろと対応しきれなかった。

「まったく、たかが一泊でなにをそんなに手間取ってるのさ。替えの下着だけで十分だろ?」
「そんなことないわよ。いろいろ必要なものがあるんだから」
言いながら、ティファは「あっ!」と声を上げ、新たに思い出した必要な物を求めて部屋の中を右往左往する。
そうするティファを見やりながら、ユフィは一泊とは思えないほどパンパンに膨らんだバッグに深々とため息をついてそれに手をかけた。
「旅の頃から思ってたけどさ、ティファやエアリスは無駄なもんばっか持ち歩きすぎなんだよ」
そう言って、ティファがつめ込んだ荷物をバラしはじめる。
「あ、ちょっと! なにするのよ!?」
「なにって手伝いだけど?」
慌てるティファを気にも止めず、ユフィはしれっとした顔で手伝いと称した不必要なもの処分をはじめた。
そうして早速バッグから取り出した物はティファが今持っている中でいちばん気に入っているパジャマだった。
そんなパジャマを眺めてユフィが一言。
「あのさ、パジャマなんてクラウドの借りればいいじゃん」
そう言って投げ出されたパジャマが宙を舞う。
「シャンプーもリンスもドライヤーもあっちにあるんだからいらないし」
ティファが当然必要と思って用意した物をユフィは全然必要ない物として次から次へと放り出していく。
そうやってユフィ基準で荷物がどんどん少なくなっていく中、ティファがこれからバッグに入れようと手に持っていた物にユフィは訝しげな目を向けた。
「なにそれ、裁縫道具?」
「え? あ、うん。ボタンとか外れてたらつけてあげようと思って……」
あっちこっちに投げ出された荷物を拾い拾い、ティファが照れくさそうに笑って言った。
クラウドを想い、頬をほんのりと染める。
そうするティファはかわいい。すごくかわいい。けれど……
「そんなもん帰ってからゆっくりやればいいだろ。ボタンのひとつやふたつ外れてたって困らないよ!」
「えー普通は困るわよ?」
「あのね~」
ユフィはもう少し状況を考えてよと言わんばかりに嘆息した。
そもそも今回のシドの依頼は一カ月や二カ月も離れて暮らすような仕事ではない。
現にキーを届けた一週間後にはクラウドは依頼仕事を終えて帰宅する予定なのだ。
その残り一週間、女ならまだしも男のクラウドがボタンが外れているぐらいで困るとは到底思えない。
ユフィは決して自分に女としての配慮が欠けているのではなく、ティファが細やかすぎるのだと仕切り直して言った。
「とにかく今回は必要ないの! 他は? そんな余計なもん入ってないよね?」
「や、もう、そんなぐちゃぐちゃにしないでよ」
乱暴にバッグの中を荒らす(ティファにはそう見える)ユフィに対して愚痴をこぼしながら、尚も却下された物を見て本当に必要ないかと悩む。
それがまた真剣な顔で悩んでいたりするもんだから、ユフィは呆れながらも自分より年上のこの女性をかわいいと思ってしまうのだ。
同性の自分から見てもこれだ。
これが異性なら……とそこまで考えて、ユフィはアホらしいとため息をついた。
旅の終わり頃、彼女と一緒にいるときの元リーダーの緩んだ顔を思い出したからだ。
考えるまでもなかったそれにユフィはもう一度ため息をつき、再びいらない物処分の続きに取りかかる。
そうして出てきた次なる物にユフィは目を輝かせた。
「これはまた…」
「え、なあに? 変な物入って…っ!! ちょ、ちょっと! ユフィ!」
顔を真っ赤にして狼狽えるティファの前でユフィが広げたのは、レース使いが上品な淡いピンク色のブラジャーだった。
「ほんと、おっきいね」
「や、やめて! 返してよ」
まじまじと自分の下着を眺められるのは恥ずかしいことこの上ない。
「なんで? いいじゃん女同士なんだから」
そう言いながらユフィは恥ずかしがるティファを無視して、その大きなブラジャーを服の上から自分の胸にあてがってみた。が、それは更なるコンプレックスを抱く結果となった。
「……全然足らない」
自分も少しは大きくなったとユフィは密かに喜んではいたものの、ティファのそれとは比べものにもなっていなかった。
「もう! これはいるものでしょ」
落ち込むユフィの隙をついてティファは真っ赤な顔でそれを取り戻し、丁寧にバッグの中へしまいなおす。
そこへ立ち直り早いユフィがいやらしい笑みを浮かべてにじりよって来た。
「それにしてもずいぶんとラブリーな下着だね。ティファってそういうのが趣味だったっけ?」
「……」
「あ、それともクラウドがそういうの好みとか?」
「ち、違うわよ。私がこういうの好きなの!」
「ふ~ん、ティファがね……」
「な、なによ…」
「別にな~んにも」
そう言いながらの含んだ笑い方をするユフィが気になったが、それよりも今の時間を示す時計にティファは目を見開く。
「あ、もうこんな時間じゃない! 早く着替えなきゃ」
言ってティファがクローゼットから取り出して着替えはじめた服はワンピース。
いつもの動きやすさを重視したシンプルな服ではなく、女の子らしいそのワンピースにユフィはまたもやにやけた顔を向けた。
「それもクラウドの…」
「私の好みです!」
今度はピシャリとそう言って、ユフィを黙らせた。

家を出る前にキッチンに寄り、今朝作ったランチ用のお弁当をバッグにしまう。
クラウドと一緒に食べようと思って早起きの更に早起きをして用意したのだ。
当然のことながら、そのお弁当についてもユフィから冷やかしを受けたが時間を気にするティファはもう耳を貸さない。
からかっても反応がないほどつまらないものはないと膨れるユフィに苦笑いながら、今回子どもたちの世話を受けてくれたそんな彼女に子どもたちと彼女用のお弁当と感謝の気持ちを言付けて、ティファは家を後に駅へと足早に急いだのだった。



目的の列車にはなんとか間に合った。
朝の早い時間帯ということもあって車内は空いていて、ティファは四人掛けのボックス席にひとりで座る。
その数分後にゆっくりと走りだした列車の動きに合わせて身体を揺らせ、朝からのバタバタ続きにひとまず落ち着いたとティファは安心したようにほっと一息ついた。

走り始めて間もなくすると、列車の窓に映る景色は緩やかな風景へと変わっていった。
鉄筋やコンクリートのような無機質で大きな建物が少なくなった分、山や森の目にも鮮やかな自然の緑と空いっぱいに広がる青の色が視界を覆い尽くす。
そうした景色はこれから逢う彼との距離を少しずつ縮めているのだと実感させ、そんなことを考える顔は知らずのうちに緩み、ティファはその顔を隠すように窓へと身体を向けて流れる景色をずっと眺めていた。


列車の最終駅はゴールドソーサー近くのこの辺りでは比較的大きな街。
列車を降り、それに合わされたように待っていたロケット村へと繋ぐバスに乗り換える。
乗車前にバスの運転手に聞いたロケット村への到着予定時間をクラウドにメールした。
クラウドはその時間に合わせて駅まで迎えに来てくれることになっている。
送信し終わったあと、そのまま携帯を手にして席に座っていると、程なくして受信を知らせるバイブで携帯がブルブルと震えた。
―― 了解。気をつけて
素っ気ないほどの短い一文。
でもその中にある彼の不器用さとやさしさを知っているティファは嬉しそうにそっと笑みを零し、そんな彼女を乗せたバスは一路ロケット村へと距離を縮めて走った。



ロケット村から少し離れた場所にあるバスの終着駅。
そこで降りる数人に続いてバスを降りると、夏の始まりを告げる爽やかな風がティファを迎えた。
エッジの風とは違う自然の匂いがする風。
どこか懐かしいと感じるそれに髪を揺らせながら、ティファはバスを降りた人たちとこれから乗る人たちで賑わう人波の間から逢いたいとする彼の姿を探した。
―― ティファ」
背後からのよく知った声にティファの顔はパッと晴れやかに色付く。
その顔のまま振り返ると、そこに二週間ぶりに見る彼の姿をとらえてティファの胸がドキッと高鳴った。
屋外での作業が多いのだろうか、少し日に焼けたクラウドは精悍さを増し、太陽の光りを受けた金色の髪はいつも以上の輝きを放っている。
そしてなにより、久しぶりの再会を少し照れたようにするその笑顔が眩しかった。
「久しぶり、だな」
表情と同様、照れくささを少し滲ませたクラウドの声はティファをも気恥ずかしくさせる。
ティファはここに到着する前、クラウドと会ったらあれを言ってこれを話してとたくさん考えていたのに、いざ彼を目の前にするとその言葉はどれも出てこなかった。
普段あまりすることのない“待ち合わせ”というシチュエーションに極度の照れが入り、会話をうまく繋げなかったのだ。
「うん、久しぶり、だね」
かろうじて口にできたそれを照れた笑顔で伝える。
それに対してクラウドが愛おしそうに目を細めたことは、気恥ずかしい雰囲気に顔をすぐに俯かせてしまったティファの目に映すことはできなかった。
「ほらティファ、荷物貸して」
クラウドがそう言って手を差し出し、ティファは照れた笑顔を見せながら持っていた荷物を手渡した。するとクラウドの眉が驚いたようにふいとあがる。
「ティファの荷物にしてはずいぶんと軽いな?」
「どういう意味?」
「いや、俺はまたてっきり長旅にでも出るのかっていうくらいの荷物を持ってくると思ってたから」
苦笑いながらそう言われて、ティファの頬が赤く膨れた。
「もう、クラウドまでユフィみたいなこと言うんだから」
少し悄げたティファの頭にクラウドの手が伸びる。
「冗談だ」
そう言ってポンポンとティファの頭を撫でながら、クラウドが「さて、」と仕切り直す。
「まずは昼飯だな。ティファもまだだろ?」
そう口にしながらクラウドはきょろきょろとそれらしい場所を探し始める。
そうする背中にティファは言った。
「あ、あのねクラウド、私お弁当作ってきたの」
クラウドの視線がティファに戻り、その碧い瞳がふわりとやさしげに滲む。
それは予想していた通りの笑顔。いや、それ以上のやさしい笑顔はティファの胸をまた高鳴らせた。
そんなティファの手をクラウドは荷物を持たない方の手で握る。
―― 行こう」
そう言って手を繋いで歩き出したクラウドの顔がほんの少し赤かったこと。
先の時と違い、今度は視線を逸らさずにいたティファの瞳にしっかりとその姿を映すことができた。



クラウドに連れられてきた場所は、ロケット村の入り口からまた少し離れた小高い丘の上。その場所で用意したお弁当を広げて少し遅めのランチをした。
陽が注ぎ、風が緩やかに通るその丘はどことなくニブルヘイムを思い起こさせた。
実際、山を隔てた向こう側はニブルヘイム。だから、気候や風土もさほど変わらないからそう感じたのかもしれない。
しかしそうやって故郷を懐かしく思うのと同時に、今はそっくりに作り替えられた偽りの故郷だということがティファの胸をきゅっと締めつけた。

「これ作るために相当早起きしたんじゃないのか?」
クラウドの声でティファの意識は思考の狭間から現実へと引き戻される。
お弁当は早々に空になった。
作った側として何よりうれしいのはこんな時だ。
美味しそうに食べてくれる笑顔とひとつ残らず食してくれること。
それを見れば、たとえどんなに労を費やしたとしてもそれらはすべて報われた満足感へと変わる。
だからティファは空になった弁当箱を片付けながら「そんなことないよ」と首を振った。そこへすかさずクラウドが言う。
「クマ」
「えっ?」
「目の下にクマができてる」
「ええっ、うそ!?」
ティファは慌てて両手で顔をおさえた。
確かに朝一番の列車に乗るためとお弁当を作るために早起きはした。
けれども、普段から早起きはしなれているティファだから寝不足を感じるほどのものではない。
もし仮に自分でも気づいていない寝不足感があるとすれば、それは前の晩、クラウドに会える嬉しさに興奮してなかなか寝付けなかったことのほうが大きいとティファは思う。
そんなふうに寝付けないほど会えることを楽しみにしていた彼に見られる自分の顔が、クマをこしらえた顔だなんてとてもいやだ。
そう思ったティファがさらに顔を覆い隠したその時、クラウドが突然吹き出した。
「うそ」
「……え?」
「クマなんてないよ」
からかわれたことに気づいて、今度はそれに対して赤くなった顔をティファは両手で隠す。
「ひどい。ひどいひどい!」
恥ずかしがるティファの姿がクラウドをさらに楽しそうに笑わせる。
「ごめんごめん」
クラウドの軽いノリの謝り方はティファの頬をぷっくりと膨らませる。
ティファはそのままぷいとクラウドから顔を背けた。
そんなティファの頬にクラウドの手がすっと伸びてやさしく触れる。
頬を包むようにする大きな手のひらにティファはドキッとし、同時に膨らんだ頬はすっかりと萎んでしまった。
そうしてそっとクラウドに視線を戻すと、そこにはついさっきまでの可笑しそうに笑っていた瞳は甘やかな色に変わっていた。
「……ティファ」
名を呼ぶ声にも色がつき、ティファの胸がドキドキと騒ぎはじめる。
クラウドがこれからしようとしていること。
それはティファ自身もして欲しいと、会えなかった時間に幾度も思ったことだと意識したからだ。
けれど、今のこの場所でそれをするには少し抵抗がある。
いくら村から離れた場所で人影もないとはいえ、いつどこで誰に見られるかわからない屋外。
そうしたことに未だ羞恥心を拭いきれないティファは、とっさに置いてあった缶コーヒーを手に取り、そうしてすでに顔を寄せてきていたクラウドのその唇にそれを押し当てた。
「はい」
「……な…に?」
唐突に突き出された缶コーヒーを目の前にして、クラウドは面食らった顔をする。
目をパチパチと瞬かせるそんな表情は訳がわからずきょとんとする子どものように見えて、さっきまでの大人の男といった雰囲気とのギャップにティファは吹き出したいほど可笑しくなった。
「ん、食後のコーヒー」
込み上げてくる笑いをこらえて澄ました顔で答える。
しかし、そうしたティファの顔からキスする流れを意図的に断たれたのだと覚ったクラウドは、その顔をみるみるうちに不満の色を濃くした拗ねた表情に変えた。
「今はいらない、ていうかなんで笑ってんの?」
子どもみたいな膨れっ面に笑いこらえるのもとうとう限界。
ティファは我慢できずに吹き出した。
「だって、クラウド今エッチなことしようって考えてたでしょ?」
こう言えば、クラウドは顔を赤くして怯むとティファは思ったのだ。
けれど――
「そうだよ」
クラウドはあっさりとそれを肯定した。逆にティファのほうが怯んでしまう。
そんなふうに臆するティファを気にもとめず、クラウドは続けて言った。
「ティファとキスしたいって思った」
そう言いながら、クラウドは目の前に出された缶コーヒーを今は必要ないとばかりに元あった場所に戻す。
そうしてから再び甘やかにした瞳でティファを見つめた。
そんな瞳で見つめられたら、ティファの鼓動は当然のように高鳴る。
そこへ容赦なく伸びたクラウドの大きな手がティファの艶やかな黒髪を撫で梳かすようにそっと触れた。
「久しぶりに会った彼女が俺の好物ばかりを入れた弁当を用意して、俺が可愛いって言った服を着て会いに来てくれたんだ」
じりじりとクラウドに距離を詰められて、ティファはその分じりじりと後退る。
「そんなことされたら、男なら誰だってこうしたくなるだろ?」
引く身体も限界となったその時、ティファはクラウドにぐいっと腰を引きよせられて、そのまま唇を重ねられた。
久しぶりのキスは少し強引で、だけど重ねられた唇はとてもやさしくて甘い。
その甘美な口づけに、される直前まで抗うつもりで上げたティファの手は脆くもその目的を忘れて宙にとどまった。
それを目の端で見やったクラウドはすかさずその手を掴むと、唇を重ねたまま今のキスがより深いキスになるように角度を変えた。
そうしたキスに、ティファはここが外だとか誰かに見られるなどという意識が頭の中からスルスルと抜け落ちる。
もっといっぱいクラウドだけを感じていたいと思った。

唇を離したクラウドがティファを見つめてふっと笑う。
「エッチなのはティファのほうだ」
「なっ! なんでそんなこ…」
「もっとしてって顔してる」
焦るティファの言葉を遮って、クラウドはしれっとした顔で言った。
少なからずそんなふうに思っていたティファの顔は羞恥の色に染まっていたが、しかし今それを認めるほど素直にはなりきれなくて首を振る。
「そ、そんな顔してな…」
「まあ俺としては、ティファの期待に応えてこのまま先を進めてもかまわないと思ってるけど、」
「ク、クラウド!」
「でも、さすがにここじゃあれだろ? だから……」
そこまで言ってクラウドは一旦口を噤み、それからおもむろにティファの耳元に口を寄せて甘やかに囁いた。
「続きは夜、部屋でゆっくりと……な?」
聞く耳持たずに言うだけ言ったクラウドはにやりと意地悪く笑う。
もう口では反撃できないと、ティファは顔を真っ赤にしてただ恨めしくクラウドを見るだけだった。





夕食はシドの家でごちそうになった。
今日ティファがここに来ることをクラウドから聞いて、夜はうちに来いと半ば強引に招待してくれたのだ。
ティファにとってシドとは久しぶりの再会。
懐かしさに顔を綻ばせるそんなティファの前でシドが開口一番に言ったことは――
「ったくよ、いい歳こいて手なんか繋いで歩いてんじゃねえよ」だった。

「見てたなら声ぐらいかけろよ」
心持ち赤くした顔でクラウドがそう非難すると、シドは悪びれもせずにしれっとした顔で短くなった煙草を灰皿に擦りつけて言い返した。
「オレ様が見たわけじゃねえよ。村の奴らがおまえらを見たんだとさ」
そう言ってから、早々に次の煙草に火を点けながらにやりと笑う。
「おまえがえっらい美人を連れて歩いてたなんて村の奴らが言うもんだからよ、オレ様はてっきり、あの野郎白昼堂々と浮気か? なんて思っちまったぜ」
いやらしく笑ったその顔は年齢以上に下世話なオヤジ風情を漂わせていて、クラウドをひどく嘆息させた。
「仲がいい証拠じゃないですか」
そう言ったのは料理を運ぶシエラだ。
けれど、シドはアホくさいと言わんばかりに鼻で笑う。
「けっ、手を繋ぐことがか?」
「そうよ。私もたまにはそういうことしてみたいですわ」
シエラがそう言うと、シドはパッとその顔を赤くして大きな声で怒鳴った。
「バ、バカ野郎! オレ様はそんなこと絶対にやんねえぞ!」
シドという人物がどういう人間か知らない人が見たら、絶対に眉をひそめるだろうなとティファは相変わらずなシドを見てそう思った。いや、シドの性格を知っていてもあんまりな言い方だとティファは思う。
もし自分がクラウドからあんなふうに言われたら、絶対に落ち込む自信がある。
まあもっとも、クラウドがあんな言い方をするとは到底思えないけど……
そんなことを考えながら、シドに乱暴な言い方をされてシエラが傷ついて落ち込んでいるんじゃないかと心配になって目をやると、そんなやりとりは日常茶飯事なのか、シエラは「そうですね」と軽く答えて苦笑いしていた。
そうやってから、心配顔を向けるティファとクラウドのそばにやって来てこっそりと耳打ちをする。
「あんなこと言ってるけど、なんだかんだ言いながらシドはちゃんと手を繋いでくれるんです」
意外なそれにティファたちは目を丸くする。
「でも、すごい仏頂面ですけどね」
すかさずシエラがそう付け足したものだから、照れくささから仏頂面で手を繋ぐシドを想像してティファたちは吹き出した。
「素直じゃないね」
「ああ、素直じゃないな」
笑い涙を滲ませながらそんなやりとりをするクラウドとティファを見て、シドはさらに顔を赤くさせて、より大きな声を出す。
「シエ~ラ! こいつらになにを言いやがった!」
「なんでもないですよ、ね」
そう言ってこっそりとウインクをしてみせたシエラを見て、シドもシエラも今を幸せに過ごしているのだとティファは感じた。



楽しい夕食を終えた後、シドから酒を勧められ、クラウドがそれを頑なに拒否し、「付き合いが悪い」と文句を言うシドをシエラが宥めるという一連の流れを経て、クラウドとティファはふたりに見送られて家を後にする。
その頃には辺りはすっかりと宵闇に包まれていた。

クラウドが寝泊まりしているホテルまでの道をふたりでゆっくり歩いていると、
「近いからかな……似てるよな?」
夜空を見上げながらクラウドがそう言った。
同じようにティファも空を見上げる。
たくさんの星が瞬いているのを目に映し、そんな星空を見てクラウドが言わんとすることはただひとつしかないように思えた。
「うん、私も昼間の丘で同じこと思った」

この世で唯一、故郷の思い出を共有できるひと。
それは嬉しくもあり、だけど昼間の丘で感じたように寂しくもさせる。
故郷に思いを馳せれば、必ずついてまわる偽りの故郷であることの現実。
でもそんなふうに考えていたのはティファだけで、クラウドはそうじゃなかった。
「俺の家やティファの家、あの給水塔も本物じゃないけど……」
クラウドは変わらず夜空を見上げたままで話を続ける。
ティファはとなりで静かにそんなクラウドの言葉に耳を傾けた。
「でもこの空や風はあの頃と変わっていない。いや、これだけは絶対に誰にも偽ることなんてできないんだ」
やさしく吹いた夜の風を受けながら、クラウドは夜空からティファへと視線を移す。
そして、やわらかな笑みを見せながら言った。
「だからティファ、あの地は変わらず俺たちの故郷だ」
そう言った言葉のなかには、寂しいと感じる必要なんてないのだと言っているような気がした。
そんなクラウドのやさしさが嬉しくて、ティファはそっと彼の手に自分の手を繋ぎ合わせる。
珍しいと思えるティファからのその行動にクラウドは少し驚いた顔をしたが、でもすぐにその顔を面映そうにして言った。
「またシドにからかわれるぞ?」
ひやかされて困るというよりも、ティファから手をつないできたことが嬉しいといった感じの言い方。
ティファはひたすら照れを隠すように、上目遣いでクラウドを見つめた。
「クラウドは、イヤ?」
「俺はシドじゃないからな」
にやりと笑ったクラウドは、繋いだ手を放さないとばかりにぎゅっと握りしめた。



ホテルの一室を借りているクラウドの部屋は、ティファが想像していたよりもずっときれいに整理整頓されていた。
「意外、クラウドのことだからもっと散らかってると思ってた」
クラウドは物をしまうということをしない。
大事な物でもそうでない物も出したら出しっぱなし、置いたら置きっぱなしだ。
そういう無頓着なところはティファも何度か苦言を呈している。
しかしそれでも、結局最後はなんだかんだとティファが片付けをしてしまうものだからクラウドにはそうした小言の効果がなくて当たり前なのだ。
「俺だって片付けくらいできるさ……と言いたいところだけど、本当はホテルの人が片付けてくれてるんだ」
やっぱりと呆れてため息をつく一方で、でもそんなふうに決まり悪そうに笑うクラウドはどこか憎めないとティファは思った。
だからよくマリンからティファはクラウドを甘やかし過ぎだと言われてしまうのだ。
そんなことを思い出しながらティファは自身に苦笑する。
そうしてからシングル用の狭い部屋を改めて見回した。

ここでクラウドはひとりの時間をどんなふうに過ごしているのだろうか。
ひとりでテレビを観たり、シャワーを浴びた後、冷たい飲み物を飲んでぼんやりと過ごしたり。
部屋のあちこちにそうするクラウドを想像し、今は子どもたちと一緒にいることが多い彼のそうしたひとり姿を少し新鮮に感じた。
ティファはきれいにベッドメイキングされたそこに座る。
ここで眠りにつく前、自分がクラウドに会いたいと思いながらベッドに入るように、クラウドも時々は自分のことを考えてくれてたりしたのかな。
肌触りの良いシーツにそっと指を滑らせながらそんなことを考える。
と、そうするティファの指がふと止まった。
―― 続きは夜、部屋でな
昼間の甘やかなキスの後にクラウドが言った言葉をふいに思い出してしまったのだ。
表も裏もないそのままの意味にティファはひとり顔を赤くする。
そしてそれを思い出してしまった今、今度は全身全霊でクラウドを意識し始めた。
何気なく座ってしまったこのベッドにも居心地の悪さを覚える。
これじゃあまるで昼間の続きを催促しているみたいに見えているんじゃないだろうか?
そんなことまで考えはじめた時、クラウドから急に声をかけられたものだから、ティファは傍目にもはっきりとわかるほどビクッと身体を震わせた。
「な、なに?」
上擦った声。
赤くする顔。
クラウドがふっと笑う。
「シャワーどうする?」
「ど、どうするって?」
「ん、ティファが先に使うか、俺が先でいいのか、それとも一緒に…」
「ク、クラウドからどうぞ!」
顔を真っ赤にしながら言葉尻を被せてそう言うと、クラウドはまた笑った。
「そ、じゃ遠慮なく」
短くあっさりとそう答えて、クラウドはシャワーを浴びる準備を始める。
そんなクラウドの背中をティファは羞恥の色鮮やかな顔で恨めしげに見つめた。

クラウドにはもうバレているのだ。
自分がこの先のことを意識して動揺してることを。
だからクラウドはあんなふうに笑う。
こんな時、いつも自分ばかりが余裕なくてクラウドは平気な顔をしているのがティファにはたまらなく恥ずかしくて悔しい。
そんな気持ちを隠すようにティファは自分のバッグを引き寄せて、いそいそと自分もシャワーの準備を始める。
そうしてだいぶゆとりのあるバッグの中に手をやって、ティファはパジャマを家に置いてきたことを思い出した。
「あっクラウド、私にもパジャマ用意してくれる?」
「忘れたのか?」
珍しいと言いたげに振り返ったクラウドにティファは首を振った。
「ううん、ユフィがクラウドの借りればいいって言うから置いてきたの」
それを聞いてクラウドは、今回ティファの荷物がやけにコンパクトだったことの真相を知ってふっと笑みを零した。
そうして自分が手に持ったパジャマを見て、さらに含んだ笑みを浮かべる。
「あいつもたまにはいいこと言う」
「え?」
「いや、なんでもない」
そう言ってクラウドはちょうど手に持っていたパジャマをティファに手渡した。
「ティファ、今これしかないから我慢して」
言われて手渡されたのは普通のパジャマだ。
なにが我慢なのか意味がわからなくてティファは一瞬きょとんとする。
しかしよくよく見ると、手渡されたパジャマが上着だけしかないことに気づいてティファは目を見開いた。
「ちょっ、ちょっとこれ!」
「だから言ったろ、今この一組しかないって」
「えっ、だって……」
この依頼を受けたとき、クラウドの荷物を準備したティファは何枚かのパジャマを持たせたのだ。
「何枚か用意してたでしょ?」
「他は洗濯中だ」
事もなげにそう言われてしまい、その理由が理由なだけにティファはなにも言えなくなって仕方なく口を噤んだ。
借りる身としてはこれ以上わがままを言うわけにもいかない。けれど、パジャマの上だけを着た自分の姿を想像すると、どうしたって恥ずかしい気持ちが拭えないのだ。
そんなふうに浮かない顔でいつまでもパジャマを眺めていると、クラウドがすっとそばにやってきた。
その顔はにやりとした意地の悪い笑みで、ティファは思わず身構える。
けれどクラウドはそれを軽く無視し、そんなティファの耳元に顔を寄せてわざわざ小さな声で意味ありげに囁くのだ。
「どうせすぐに脱ぐんだからどんな恰好でも同じだろ?」
「…っ!」
慰めているつもりなのか、それともただ単にからかっているのか。
どちらにしてもティファが恥ずかしくなることだけは間違いないことを言って、クラウドは悠々とシャワー室に入って行った。

残されたティファの顔は湯気が立ちそうなほど真っ赤だ。
そんなティファは思わず、手に持っていたパジャマで顔を伏せる。
こうした状況を面白がってるクラウドに悔しくなったり、またそんな彼を煽るようにいちいち反応する自分に恥ずかしくなっていた。

しばらくの間、クラウドのシャワーの音を聞きながらそうやっていたティファだったが、ふいに顔をあげた。
こんなふうにしていること自体も恥ずかしく思えてきたのだ。
そうして落ち着きを取り戻すように一呼吸つき、クラウドのパジャマを眺める。
と、そのパジャマの第一ボタンが取れかかっていることに気づいた。
ほらほら、こういうこともあるんだから! と、今ここにはいないユフィにそう自慢したいのを心の中で呟きながらバッグに手を伸ばす。
しかしその手はバッグの手前でぴたりと止まった。
ソーイングセットは、今自慢したかったユフィにいらないものとしてバッグに入れてもらえなかったことに気づいたのだ。
「もう…なんだかな……」
すべてが裏目裏目に出ているようでティファはがっくりと肩を落とした。

そんなことをしている間にシャワーの音は止み、それから程なくしてシャワー室の扉がカチャッと開いた。
そんな扉の音に過剰とも思えるほどのリアクションでティファは振り返る。
濡れた髪をタオルで拭うクラウドの姿が目に入り、ひとりになって落ち着きを取り戻していたティファの心臓はまたドキドキと跳ねはじめた。
一組しかないパジャマをふたりで共有するため、クラウドは上半身裸だった。
細身であるクラウドでも鍛え上げられた胸板や二の腕は適度な筋肉がついていて、その体つきはいやでも彼が男であることを意識させる。
ティファはクラウドからまたいらない何かを言われる前に「お借りします」と小声で言って、早々にシャワー室へ逃げ込む。
すれ違いざま、クラウドがふっと笑ったことは恥ずかしさが増すだけだから見なかったことにした。



いつもより長めのシャワーを浴びて出ると、部屋の中ではクラウドがソファーに座り、観てるんだか観てないんだかの様子でぼんやりとテレビを観ていた。
無造作にタオルを肩に引っ掛けたままの、ティファにとっては目のやり場に困るような姿。
そうした飾らない姿にも色気を感じて、ティファは乱れる鼓動を落ちつかせるようにパジャマの胸元をきゅっと握った。
「具合でも悪いのか?」
ティファのそうする姿を見て、クラウドは心配する顔を向ける。
この部屋に入ってから、からかってばかりのクラウドもこうした時は本当にやさしい。
そんな駆け引きなしのやさしさにとても弱いことを本人は知らないのだろうと思いつつ、ティファは大丈夫なことを伝えて首を振った。
するとクラウドは、ほっとしたように笑み、そうしてからリモコンに手を伸ばしてテレビを消した。
そんなに音量を上げていたわけではないテレビから音が絶たれて部屋は一段と静まり、その静寂さがさらにティファの緊張を高めた。
バスルームを出たままの位置からずっと動けずに立ちつくしていると、クラウドがベッドへと移動する。
そうしてベッドに腰をかけてからふっと笑って言った。
「ティファ、おいで」
甘やかな笑みの誘い。
クラウドにそんな顔でこんなふうに言われてしまうと、ティファは恥ずかしいと思う気持ちはあるのに身体は自然と彼の言うことに従ってしまう。
言われるがまま、ベッドに座る彼の横にちょこんと腰を下ろした。
そんなティファはまるで借りてきた猫のようでクラウドが小さく笑う。
「なあティファ、なんでここ、ぎゅって握ってんの?」
前身頃をかきあわせた手を指でトントンとされながら顔を覗き込まれ、クラウドの整った顔立ちの急接近にティファは隠すこともできない赤い顔を俯かせて言った。
「ボ、ボタンが外れてて…」
「うん」
「だ、だから、」
「だから?」
「こうしてないと、その…」
「見えちゃうって?」
最後ににやりと笑ってそう言う。
そうした笑い方はとてもいじわるなのに、妙な色気があってティファをドキドキさせる。
そんな状況の中、クラウドはさらに追い打ちをかけるように、ぎゅっと前身頃を握るティファの指を一本一本解きはじめた。
このままだとクラウドのペースに飲まれてしまう。
そう感じたティファは慌てて、まだ続きがあると言わんばかりに口を開いた。
「あ、あのね、本当はソーイングセット用意してたのよ?」
「うん」
うなずきながらも、クラウドは指を外すことを止めようとしない。
「だ、だけどユフィにいらないって……あっ!」
突然上がった声にクラウドの手がようやく止まる。
「なに?」
「忘れるとこだった」
そう言って、ティファは自分の足元に置いてあったバッグを引き寄せて中身を探った。そうする様子をおとなしく見ていたクラウドは、ティファが「はい、これ」と言って出したものを見て、ふっと笑った。
フェンリルのスペアキーだ。
「いちばんの用事がいちばん最後になっちゃった」
照れくさそうに笑うティファからクラウドはそれを受け取る。
「そうだったな。俺も忘れるところだった」
そう言ったクラウドは手渡されたフェンリルのキーを見て自嘲気味に笑った。
その表情を不思議に思って、ティファが「なに?」と口を開きかけたとき、それよりも早くクラウドの腕がティファの身体をやさしく抱きしめる。
不意打ちのそれにビクッとしながらも、ふわりと鼻先を掠めたクラウドの匂いや温もりにティファの身体は次第に力が抜けていく。
会えなかった時間、ずっとこんなふうにされたいと思っていたのだ。
ティファはクラウドの背に自分の腕を回して、その大きな胸の中に顔を埋める。
「……ティファ」
クラウドの熱のこもった声に顔を少し上げると、そっと唇を重ねられた。
そしてキスをしたままの形でゆっくりとベッドに身体を沈められ、それと同時にカチャリとサイドテーブルにキーを置く音を耳にする。
乾かしたばかりの髪をそっと撫でられながら、ティファはクラウドからたくさんのやさしいキスを受けた。
そのやさしいキスも重ねるごとに深く甘美なものへと変わっていき、次第にティファの唇からは少し苦しげな、それでいて艶かな吐息が零れはじめた。
するとクラウドが僅かに身体を起こして、そして切なげに笑う。
「……ごめん、ティファ」
先までのキスのせいで熱に浮かされた潤んだ瞳でティファが見つめ返すと、クラウドは困ったような自嘲するようなどちらともつかない小さな笑みを浮かべて言った。
「今日は……加減してやれそうもない」
少し掠れた低い声で、余裕のない焦燥感に滲んだ碧の瞳でそう告げられる。
ドキッとする間もなく、ティファは頬を大きな両の手でそっと包まれた。
言葉とは裏腹のやさしさに満ちたその行為は、おそらく今の彼ができる精一杯の穏やかな行為。
ティファもまたそんな情熱的な彼を身体中で感じたいと、求めるようにクラウドの首に腕をまわした。
それを合図に、クラウドは会えなかった時間の想いを解き放つようにティファの唇に自分の唇を重ねた。



「気をつけてな」
バスに乗り込む人波を避けた場所でクラウドにそう言われて、ティファは自分が持ってきたバッグを手渡された。
ここに来るときはクラウドに会える嬉しさがパンパンに詰まったこのバッグも、今は離れる寂しさでバッグまでもが悄げているように見える。
でもティファはそんな寂しい気持ちを心の奥底にしまって笑顔を作った。
「うん。クラウドも残り一週間、身体に気をつけてね」
クラウドが笑顔でうなずき、それと同時に発車を告げるアナウンスが流れた。
後ろ髪ひかれる思いでティファはバスに乗り込み席に着くと、クラウドがティファの座席の窓ガラスをコンコンとノックした。
ティファはその窓ガラスを少し開ける。
「ティファ、これ持って帰って」
開けた窓から受け取ったのはフェンリルのスペアキー。
「えっ? だってこれ……」
戸惑うティファの前でクラウドは自分のポケットに手を入れて、そこから取り出したものを目の前に掲げて見せる。
太陽の光りを受けてキラッと眩しく反射したそれは、シルバーのキーリングに繋がれたフェンリルのキーだ。
「え? ……えっ?」
失くしたと言われたはずのそのキーと自分の手元にあるスペアキーを交互に見やり、そしてずっと黙ったまま顔をにやけさせているクラウドを見る。
「ああっ!」
ようやく合点がいった時にはバスの乗車扉が閉まり、発車を告げるそれにクラウドが一歩身体を後ろに引いたところだった。
言いたいことはたくさんあったけれど、動きだしたバスにクラウドが少し寂しげな顔を見せたからティファはきゅっと口を結ぶ。
そんなティファもクラウドと同じ表情をしていた。
そうしていつまでもクラウドの姿を目で追い、そして完全に姿が見えなくなって、ティファは無理な体勢でいた身体を座席に沈めた。
零したため息ひとつ。直後、携帯がブルブルと震えた。
今さっき別れた彼からのメールだ。

―― 帰ったら俺は説教か?
短いそのメッセージにティファはクスッと笑う。
―― もちろん、お説教!
そう返信してティファはそっと携帯を閉じると、窓に映るのどかな田園風景を眺める。
その風景に今しがた別れたばかりの彼の姿を映しながら……

だからね、クラウド
早く帰って来てね


たまにはこんなふたりもいいよね、という話。

(2008.11.08)
(2018.09月:加筆修正)

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