ささやかな願い

飛空艇の甲板から望む雄大な景色。
緑の大地は果てなく広がり、遠くに緩やかな地平線を描く。
青い空を白い雲がゆっくりと流れていくその穏やかな景観に旅の終わりを実感した。


「終わったね」
欄干に両腕を乗せて眩しそうに空を見上げるとなりの彼女がそう言った。
同じ景色を眺め、同じことを思う。
そんな些細なことが嬉しくて、俺は目元も口元も密かに緩ませながらうなずいた。
「そうだな、終わったな」
「風、気持ちいいね」
「ああ、気持ちいいな」
オウム返しのような返事はティファをクスクスと笑わせた。
けれどそうした後、少しだけ眉を寄せて俺を見る。
「でも、飛空艇が動き出したら気持ち悪くなっちゃうね」
その通りであり、またそんな心配をされたことに思わず苦笑した。
あまり格好がつかないそれを隠して、心配する顔を覗き込むようにしながらどこかで言ったセリフを口にする。
「ティファがいれば大丈夫な気がする」
「私が?」
「うん、ティファが」
一瞬考えるような呆けた顔をしていたが、ニヤリと意地の悪い顔をする俺にティファはその顔を次第に赤くさせて俺の腕をトンと叩いた。
「もう! すぐそうやってからかう」
気づくのが遅い反応が可笑しくて、笑いながら謝った。
ティファは赤くなった頬を少し膨らませながら再び景色に視線を戻す。
恥ずかしくてそうしたのだというのは明らかで、俺もまた緩んでだらしなくする顔を見られないように景色に目をやった。



ティファと一緒のこういう時間が好きだ。
交わす言葉は少なくても不思議と居心地の悪さは感じない。
彼女は普段仲間たちの中にいればそれなりにおしゃべりをするほうだが、俺とこうして二人でいるときは言葉数が少なめだ。
恥ずかしそうにしながら、それでいてとても嬉しそうに笑う。
そんな笑顔やしぐさは仲間内では見られなくて、自分が彼女の中で特別な存在なのだと感じる。そうであったらいいと、ずっと夢見ていたポジションだ。

そうした心地良い沈黙の中、風の音だけに耳を澄ませていると、その風に乗って甘い香りが自分の鼻先を掠めた。
となりに立つティファの髪の香りだ。
長い黒髪は太陽の光を浴びて艶やかな光の輪を作り、風がさらさらとそれを靡かせる。
触れたくなるような髪。
手を伸ばせばすぐに届く距離。
けれど、彼女の髪に触れるのは手を繋ぐ行為よりもずっと勇気のいることだった。
そんなふうに見惚れることしかできない俺の横で、ティファは受ける風に顔をくすぐったそうにしながら髪をそっと耳にかけた。
童顔なその顔に女の艶さが色めきたち、そのアンバランスな魅力にドキッとする。
―― 綺麗だな」
思わず零してしまった言葉を受けて、ティファは戸惑った顔をした。
「あ、いや、ティファの髪、綺麗だなって……」
中途半端に語尾をかき消してしまい、それがかえって気恥ずかしい雰囲気に輪をかけた。
彼女に負けず劣らず真っ赤な顔をしているであろう俺に向かって、ティファは照れた笑いを見せた。
「ありがとう。でもね、切ろうかなって思ってるの」
「どうして?」
びっくりして聞き返すと彼女は少し困ったように俯き、そうしてからすぐに照れくさそうな顔をあげて言った。
「心機一転、かな」


これから始まる人生。
今となりにいる彼女と一緒なら大丈夫。
そう思った俺と同じように、ティファもまた髪を切ることでこれからの人生を前向きに捉え始めていた。
それはとても嬉しいこと。
しかしそれとは別に綺麗な長い髪を切ってしまうのは少し残念に思えた。
「単純すぎるかな?」
何も返事ができないでいた俺にティファは苦笑する。
俺は慌てて首を振った。
「いや、そんなことはない。ティファらしくていいと思うけど……」
「けど?」
「うん、もうイルカヘアーが見れなくなるのは残念だな」
「イルカヘアー?」
しまった! とすぐに思ったが時すでに遅し。
口下手なくせに余計な一言は口をついて出る、そんな自分を恨めしく思いながらしどろもどろとみっともない言い訳をした。
「あ、いやその、俺が勝手にそう呼んでるだけ」
長い髪を下のほうで結い留めたティファの髪型。
束ねられた毛先がイルカの尻尾みたいで俺は密かにそう名付けていた。
そうした理由など知る由もない彼女はきょとんとした顔で俺を見続ける。
そんな視線に耐えかねてそっぽを向くとクスクスと笑われた。
「じゃあ、私がクラウドの髪をチョコボヘアーと呼んでるのと同じだね」
それを聞いてがっくりときた。
一応これでも毎日セットするのに時間のかかるこだわりの髪型だ。
それがチョコボと呼ばれているとは落ち込む以外なにもない。
しかしそうする俺の姿はティファを更にクスクスと笑わせた。
「好意で言ったつもりだったんだけどな」
「気合い入れた髪型をチョコボと呼ばれてよろこぶ奴はいないぞ?」
「え、そう? チョコボ可愛いのに」
そう言いながら、ティファは俺の髪にそっと手を伸ばした。
「私好きよ、クラウドの髪型」
ドキッとした。
顔近くに感じるティファのあたたかい白い手や、陽だまりのようなやさしい瞳に。
そうするティファは今、恥ずかしいとか照れくさいといった類の意識をしていないのだろう。
無意識なその行動にドキドキとしたまま身動きができないでいると、ティファはハッと我に返るような顔をした。
「や、やだ、私っ!」
ようやく自覚したのか、髪に触れる手をパッと引っ込めて、言葉にならない言葉を口にしながら真っ赤な顔でオロオロとする。
そうする姿は更に俺を気恥ずかしくさせた。


一度こうなってしまうと、お互いこの場をどう収拾したらいいのか分からない。
そんな空気に耐えかねたティファが赤い顔をしたまま小さな声で言った。
「えっと……そろそろ戻ろっか?」
目線すらまともに合わせず、身を翻そうとしたティファの腕を俺は咄嗟に掴んだ。
「えっ?」
突然腕をとられて驚くティファを静かに見つめ返す。
もう少し二人でいたい。いや、正確には抱きしめてキスをしたかった。
掴んだ腕をはなそうともせず、また何か言うわけでもない俺にティファはとうとう顔を真っ赤にして俯いた。
それはきっと俺がこの先なにをしたいと思ったのか感じたのだろう。
それでもこうして逃げないでいてくれたのは、彼女もまたそれを望んでいるから、と自惚れてもいい……よな?
彼女の腕をはなして代わりにその華奢な両肩をそっと掴む。
ティファは傍目にもわかるほど身体をびくっと震わせてゆっくりと顔を上げた。
それは恥ずかしさ極まって今にも泣き出しそうな顔だ。
愛おしいとはこういうことを言うのだろう。
目に映るものはティファだけでしかなく、耳に聞こえるものは自分の高鳴りすぎた心臓の音だけ。
ティファがゆっくりと瞳を閉じた。
そうする顔に俺は緊張で喉が鳴る。
しかし、俺以上に緊張していたのはティファのほうで、きゅっと結ぶ唇や震えるまつげがそれを物語っていた。

―― 大事にしたい
そういった男の保護欲をくすぐる彼女に唇ではなく額にキスを落とした。
そろりと開いた紅い瞳と目が合う。
一瞬のきょとんとした表情の後、その頬はみるみると赤く染まった。
照れたようにしながら口づけられた額に手を添えたのは、予想に反した場所へのキスだったからか。
恥ずかしそう笑ってごまかす姿がとてもかわいかった。
「緊張しすぎ」
額に当てる手をつかんで苦笑い交えて言った言葉は、ティファに言って自分に言い聞かせた言葉。
そっと唇を重ねた。


彼女が期待する以上に俺自身が強く望んでいたキスは、まだ五本の指で足りるくらいしかしていない。
その回数に見合うかのような短い口づけをして唇をはなすと、鼻先がくっつくほどの距離で目が合った。
照れくささから、互いの額をコツンと合わせてどちらからともなく微笑みあう。
そうするティファはあまりにも無防備な笑顔で、今のキスでは全然足りないと思う俺の気持ちを強く煽った。
ほぼ抱き合う形に近い状態だったにも関わらず、俺は僅かにある隙間を埋めるように彼女の身体を抱き寄せる。
甘やかな匂い、やわらかな感触、安らぎを感じる温もり。
そのすべてに幸せを感じながら、触れたかった髪をそっと撫でた。
抱く腕を少しだけ緩めて、ティファに二回目のキスを合図する。
その目配せに彼女ははにかみながらも長い睫をゆっくりと伏せる。
俺はそれに吸い寄せられるように顔を寄せた。

直後、後方から聞こえたざわめき声。
ビクッと身体を震わせた俺とティファは、ほぼ同時に飛び退いた。
それと同じくして重い扉が開く音とともに姿を現したのはシドとユフィ。

「クラウド、ティファ、そろそろ出発するってさ」
別に悪いことをしていたわけではないが、なんとなくそれに似た後ろめたさに返事をする声が上擦る。
そんな俺のとなりでティファは不自然なほどに皆から背を向けていた。
そうしたことに目ざといユフィが、なにかを探るような目つきでティファに近寄る。
「んんん?」
そう言って、背を向けているティファの前に回り込もうとする。
そんなユフィの前に俺は素早く身体を割り込ませた。
しかしユフィはそんな俺をまるっきり無視するように手で押し退けて、ティファの顔を強引にのぞき込む。
「うわっ! ティファ顔、真っ赤! どうしたの!?」
「えっ! あ、あの、これは…」
ティファは両頬を隠すように手を当てて動揺している。
俺はそんなティファをかばうようにして再びユフィの前に立って言った。
「心配ない」
再度邪魔をされたユフィはムッとした顔で俺を見る。
「もうさっきからなんなのさ。あんたには聞いてないから引っ込んでてよ……て、なんであんたまで顔真っ赤にしてんの?」
ティファをフォローするつもりが逆効果。
決戦前の光景を思い出し、それに似たような今の状況に冷や汗をかいた。
収拾つかなくなりそうな状況を前にして大人の対応をシドに望んでみるが、期待はずれもいいとこ。更に煽ってくれた。
「どうせクラウドの奴がスケベなことしたんだろ? ったく、オレ様の飛空艇をなんだと思ってるんだ」
忌々しげに煙草の煙を吐くシドを俺も忌々しげに睨んだ。
しかしそれにしても、じとっと見上げてくるユフィからの視線が痛い。
こうなってしまったらもう余計なことを言わず黙秘で回避。
そう判断して口を固く結んだが、ユフィから痛烈な一言を食らった。
「……この、どスケベ」
確かに返す言葉はないけれど、いい加減そっとしておいてくれと俺のささやかな願いはぼやいてもいいだろうか。


CCのエアリスは可愛らしいささやかな願いだったのにね。

(2007.10.21)
(2018.09月:加筆修正)

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