君に伝えたかったこと

いつの時でも、心の片隅にあったのは彼女の笑顔。
ニブルヘイムにいた頃も、ソルジャーになる為に日々訓練していたあの時も、偽りの人格を形成していた旅の頃であっても自身では気づいていなかった心の奥底には彼女への想いがあった。
今の自分があるのは彼女がいたから―― そう言っても過言ではないと思う。
それくらい俺のなかで彼女は特別なんだ。

―― なあティファ
ティファは知らなかったなんて言うだろうけど、俺はずっとずっとティファのことが……



ゆるりと、五月の夜風が身体を撫でた。
アルコールで少し火照った身体にそのやさしい風は心地よくて、ひっそりと静まり返った飛空艇の甲板でひとり一呼吸ついて空を見上げた。
今、空に浮かんでいるのは、星の破滅を意味していたメテオではなく淡く光る星々。
その無数の星が夜の大地を照らすやわらかな照明と化していた。
そんな星空を見上げていると彼女を待っていたあの時を思い出す。
大切な、あの約束の日のことを……

「お待たせ」
背後から聞こえたやわらかな声に振り返ると、少し照れくさそうに笑っている彼女の姿。
愛らしいという表現がぴたりとはまる遠き日の幼い彼女の姿が今の彼女の姿と重なってひとつになった。
くせのない黒髪も、つられて笑んでしまう笑顔も、あの頃と変わっていない。
そんな少女の頃の面影を残しながら成長した彼女は今、大人の色艶もあわせた綺麗な女の人になった。
そんな彼女を見るたび、俺の鼓動は速まる。
そして今も跳ねるように脈打ち始めたそれを隠して平静を装いながら彼女に聞いた。
「うまく抜け出せた?」
「たぶん。みんな酔ってたから」
今日は彼女の誕生日。
仲間内で企画した祝いの席に当の彼女もそれを祝うみんなも楽しんでいた。
にぎやかで楽しいその宴にもちろん不満はなかったけれど、誕生日という特別なそれを仲間のひとりとして―― とされるのは少しだけ寂しいと思った。
だから俺は宴の最中ではあったけれど、皆に内緒で彼女をここに呼び出したのだ。
「クラウドってば言うだけ言って、自分だけさっさと出て行っちゃうんだもん」
少し困ったような口ぶり。
俺のほうはその宴から難なく抜け出せたが、今日の主役である彼女のほうはなかなかタイミングが見つけられなかったのだろう。俺よりもずいぶん遅れてこの場所に来た。


あの決戦を終えてから俺たちは、この飛空艇を拠点に各地の復興支援をしつつ、今も仲間たちと生活を共にしている。
一応、団体生活ということもあって俺たちはふたりきりになることに対して遠慮もしていた。
年齢もそこそこの集団なのだから、そこは暗黙の了解でそんなに遠慮をすることもないのだろうが、残念ながらそれが通用しないのがこの集団。
決戦前夜のあの日以来、俺たちは仲間たちから好奇の視線に晒されている。
それは旅の頃のように今後の計画を立てていたり、今夜の夕飯は?といった他愛ない話をしているだけでも必要以上ににやけた顔でひやかされるのが日常茶飯事なのだ。
それはまるで小学生レベルだ。いや、いまどきの子供のほうがそうした配慮というものをまだ知っているのではないかと時々思う。
だからこうしている今も、ふたりで抜け出したことを仲間たちが知ったらかっこうの酒の肴にされるだろう。
そうしたことに対して極度に恥ずかしがる彼女だから、それらを懸念して呼び出しをかけた俺に困ったような口調を向けた。
しかしそう言っているほど迷惑と思っている訳でもなさそうで、俯いた拍子にさらさらと流れた黒髪の合間から照れくさそうにはにかんでいる彼女の表情が俺の口元を緩ませた。

「あの時だってそうだった」
そう言って、ティファは過去の記憶を辿るようにしてクスクスと笑う。
彼女の言う“あの時”が、ついさっき自分の思い出していたあの時と一緒であることに俺は苦笑した。
『話があるから今日の夜、給水塔に来てほしい』
あの頃、ろくに話もしたことがなかった俺はティファを給水塔に呼び出した。しかも今日の日のように言うだけ言って返事も待たずにその場を去ったのだ。
今日の呼び出しは彼女に有無を言わせないためにわざと強引な呼び出し方をしたのだが、あの頃はただ単に緊張し過ぎて何も考える余裕がなかっただけ。
家に戻って落ち着いたとき、勝手に約束を取り付けたことに気づいてひどく焦った。
だから、まだ春を迎えるには早いニブルヘイムの少し冷たい夜風の中、俺は彼女が来てくれるのか不安な気持ちを抱えながらあの場所で待っていたのだ。

「ねえ、どうしてあのとき、私にソルジャーになりたいって報告してくれたの?」
揺るぎない想いの決意表明。
そんなふうに言ったら大袈裟かもしれないけど、そういうのもあったと思う。
でもやっぱり一番の理由は旅立つ前にティファとの思い出が欲しかったから。
どんなに離れていても、そのたったひとつの思い出があれば俺は頑張れるような気がしたんだ。

「そうなんだ……うん、そうだったね。私とクラウドの思い出ってあまりなかったもんね」
あの頃は“一緒に遊ぼ”とも言えないひねくれ者だったからな。
「今は違うの?」
今でもそうだって言いたげだな?
「そう聞こえたんなら、やっぱり今もひねくれ者のクラウドくん、だね?」
まいったとぼやいた俺に彼女はとても楽しそうに笑った。

「私ね、クラウドが出発するとき、ちゃんと見送りしたかったんだよ。なのにクラウドったら朝早くに出ちゃうんだもん。おばさんに聞いてびっくりしたんだから」
うん、旅立ちは朝早くって決めてたんだ。ほら、ティファの顔見たら余計に寂しくなるだろ? だけどさ、一目見てから出発したいなとも思ったりしたから、ティファの部屋の窓ずっと見上げてたな。窓から顔出してくれないかなって念じながら。
「ふふふ、残念。もっと強く念じてくれてれば気付いたかもよ?」
そうだな、精進するよ。
「そういえばクラウドって手紙くれなかったよね?私、待ってたのに」
……書いたよ。
「うそ、クラウドから手紙届いてないよ?」
うん、書いたけど出さなかった。
いや、出さなかったんじゃなくて出せなかった。
ティファに手紙を出す勇気もなかったんだ。
だけど何回も何回も書き直してティファに手紙書いたんだ。
「ねえ、その手紙にどんなこと書いたの?」
……忘れた。
「もう!」
うそ。ちゃんと覚えてる。
あの手紙には――
約束、忘れてないからって。ティファがピンチの時にはすぐに駆けつけるからって。
あの約束は強くなってティファを守りたいって思ってた俺には本当に嬉しかった約束だったから。
だから忘れてないってことをティファに知っててもらいたかった。
「その割には私がそうお願いしたとき、ずいぶん戸惑ったような困った顔してたよね?」
照れ隠しだよ。本当はあの給水塔のてっぺんでガッツポーズしたかったくらいだ。
「あ、そんなクラウド、見てみたかったかも」
ティファがそう望むならガッツポーズぐらいいつでもしてやる。
ただし、俺がそうしたくなるくらいのことをティファが言ってくれたら、だけど。
「なんかその言い方って、はなからやってやる気はないって言ってるように聞こえるけど?」
そうか? だとしたらティファも相当なひねくれ者だな。
「あ、ひどいなあ、もう」
うそ、うそ。
でも、本当にあの約束があったから頑張れたんだ。
自分にソルジャーになるだけの才能がないって諦めかけたときも、その約束だけがいつも自分を支えてくれてた。
「……うん」
まあもっとも、そう言ったティファはそこまで特別な意味はなかったみたいだけどな。
「もう、またそんなイジワルを言う!」

ぷくっと頬を膨らませた彼女とそれに苦笑する俺との間にやわらかな風が流れた。
しばらくその風の声に耳を傾けていたけれど、風が緩やかに止まりかけたとき、ティファがぽつりと話し続けた。
「もう知ってるでしょ? 私、クラウドとの約束が嬉しかったって。ずっとずーっと待ってたって」
そう言ってティファは俯き気味だった顔をゆっくりと上げた。
「私、クラウドのこと……」
だんだんと細く消えていく言葉の続きを俺は待った。
名前のあとに続く言葉は俺が期待している言葉。虫がいいけどそう確信していた。
けれど、その確信が顔に現れていた俺の顔はにやけた顔で、それを見た彼女はみるみるうちに顔を赤くさせると続きを言わずに口をつぐんでしまった。
そうしてから、ただじっと俺を見つめる。
その紅い瞳は”察して”と言っていた。

ずるいよなと思いつつ苦笑したのは、もしも今、ティファからその言葉を聞けたのなら、俺は迷わず彼女の期待通りにガッツポーズをする自分を想像したからだ。
でもいま目の前にいる彼女を見ていたら、そうするよりももっとしたくなることが他にあって――

「ティファ」
「ん?」
「……キスしてもいい?」
長い沈黙のあと、彼女が羞恥に染まった顔でぽつりと言った。
「あ、あのね、クラウド」
「……うん?」
「そ、そういうのは聞かないでするもんじゃないかな」
「そう…かな」
「うん……たぶん」

互いの自信なさげな顔。どちらからともなく笑い声が零れる。
恥ずかしそうに笑う彼女がとても愛おしくて、俺はいつの時でも触れていたいと思うそのなめらかな頬にそっと触れた。
彼女の顔からゆっくりと笑みが消え、代わりに艶やかな色をつけた瞳で俺を見つめ返す。
「ティファ、誕生日おめでとう」
そっと唇を重ねた。



―― なあ、ティファ
こうして話してみると、俺は故郷で過ごしていたときも、逢えなかった時間も、ティファのことばかり考えていたんだな。
ティファ、俺はずっとずっとティファのことが好きだったんだよ。


2008年ティファ誕生日記念小説。
クラウドは昔も今もティファに対して不器用だったらいいな。

(2008.05.03)
(2018.09月:加筆修正)

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